動物ブログ

我々の身近な親友、犬、猫について(6)
日本の犬(2)

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前書き

前回に続いて今回のブログでも最初に皆様に質問させていただきます。

皆様は日本での稲作がいつ頃から始まり日本人はいつから狩猟民族から農耕民族へと変わったとお考えでしょうか?  

多くの皆様は今から約3000年ほど前の弥生時代から日本人は稲作を覚えて農耕民族になったと教育されてきたのでは無いでしょうか? 

ところが現実は違います。縄文時代の遺跡の中からはっきりと日本人が稲作をしていた証拠がいくつも出土してきています。しかしこうした事実は学校教育では一切教えられません。つまりは「縄文時代の日本人が稲作をしていた」という事実が日教組を中心とする学校教育での授業に不適格である為に教育されていない事になります。

何故この真実が不適格なものであるのかはその当時の気象状況と大きな関係があります。縄文時代に日本で稲作が始まりだした時代というのは氷河期末の時代であり日本海は氷で覆われており日本でも九州などの一部の地域でしか稲作が無理な気候でした。ましてや日本列島よりも北である中国東北部満州では稲作が不可能な環境であり真実を教えれば「中国から日本に稲作が伝わった」と教えている現在の歴史教育そのものが嘘になってしまいます。だから氷河期が終わって中国でも稲作が可能になった弥生時代から日本で稲作が始まったと教えている訳です。

縄文時代の中国大陸にも勿論人間はいましたが彼らは完全な狩猟民族です。コメを作る「稲」という植物が亜熱帯産である事は間違いが無く氷河期の中国東北部で稲の栽培などは不可能な気候です。現実の歴史ではコメの栽培は中国から日本に伝わったものでは無く、全く逆で日本から中国に伝わったと考えるのが気象的に見ても普通の見方である訳です。日本人の稲作の歴史は大変古くそれゆえに現在でも日本人の主食がコメでありコメの品種としても日本産のコメが栄養価が非常に優れていて食べておいしいものであるという現実は歴史と全く矛盾しません。今回のブログはその事の証明を「犬」という人間と一緒に移動してきたであろう動物の観点から考えてみます。宜しくお願い致します。

日本犬の遺伝子の謎

犬の遺伝子情報である「DNA」を調べるとその犬種の原産地がどこなのかが解ってきます。

日本から見た現在の日本犬の原産地は中国大陸から渡ってきた「北方系の犬」か東南アジアから渡ってきた「南方系の犬」のどちらかである事は明白ですが結果は秋田犬を除くすべての日本犬は確実に南方系の品種です。亜寒帯にいる北海道犬ですらそのルーツは確実に南方系です。秋田犬は日本犬の中でも特殊な犬です。というのは秋田犬以外の日本犬がすべて狩猟犬であり山の中で猟師とともに町中の他の犬種とは殆ど出会わない生活を送ってきたのに対して日本犬の中で最も大型である秋田犬は完全な町犬であり狩猟に使われる犬では決して無かった歴史を持っています。秋田犬の役割は最初は番犬であり江戸時代には闘犬へとその役割を変えました。

日本に西洋の犬が入ってきた歴史は意外に古く戦国時代にまで遡ります。ポルトガルやオランダと交易を始めた頃から西洋の犬種も外国人と一緒に日本に入ってきました。良く時代劇で日本の町中に純粋な日本犬が登場するのは時代をそれらしく見せる為の行為であり現実に江戸時代の庶民に飼われていた犬は西洋犬と日本犬が入り混じった完全な雑種です。江戸時代の町中で純粋な日本犬が登場するのは映画やドラマの中だけと言っても良く実際には雑種だらけでした。秋田犬はその中で生活していてしかも闘犬として扱われていた為に故意的に多くの大型で強い西洋犬種との交配が行われました。記録ではブルドックやマスチーフなどと積極的に交配させています。明治時代に入って初めて「日本古来の犬種を守ろう」という動きがあり秋田犬も他の日本犬と同じような姿に改良されてきて今日の秋田犬の姿がある訳です。日本犬の中で唯一、一度完全に雑種化した犬種が秋田犬でありだからこそ秋田犬のDNAにはヨーロッパから入ってきた「北方系」の犬の遺伝子が多く含まれている訳です。では何故他の日本犬は殆ど外国産の犬の影響を受けなかったのでしょうか? それは日本犬独特の狩猟性能と大きく関係してきます。

日本犬の性能

江戸時代の頃の日本の狩猟とヨーロッパの狩猟とでは大きく形が異なります。日本の猟師がその生活の為に猟をしていたのに対してヨーロッパの狩猟とはハンティングというスポーツであり極端に言えば貴族の高等な趣味でした。勿論ヨーロッパでも狩猟で生活をしている人はいた訳ですが、そういう専業の猟師が犬の品種改良をしていた訳ではありません。ヨーロッパでの犬の品種改良はその殆どが貴族の趣味で行われました。

ヨーロッパでは猟をする為に貴族が馬に乗り多くの品種の犬を一度に複数使うのが普通です。獲物を探し出す犬、追いかけて獲物を追い詰める犬、馬に乗った人間がそこに到着するまで獲物を足止めさせ獲物と闘う犬、そして最後に馬に乗った人間が獲物のすぐ近くで馬から降りて鉄砲で獲物を仕留める訳です。ヨーロッパの狩猟犬の品種が非常に多いのはこの役割ごとに分担されているからです。哺乳類を相手にする狩猟犬がハウンドであり鉄砲で撃ち落とした鳥を持ってくる鳥猟犬がレトリバーと呼ばれる犬であり同じ猟犬でありながら品種別にその役割ははっきり分断されています。

これに対して日本の猟師は確実に専門職であり、通常は猟師一人に犬一匹という形で狩猟が行われました。江戸時代の猟師の武器は弓矢であり、獲物に直接とどめを刺す為の大きなナタであり狩猟で本格的に鉄砲が使われだしたのは日本では明治以降です。獣を取る為の犬と鳥を取る為の犬という区別も全く無く当然ながら狩猟犬の役割分担など何もありません。だからこそ犬の持つ本来の狩猟本能が強く要求された訳です。原始的な犬であるほど結果として人間の役に立ちました。

日本犬はその為に性能をかなり特殊に進化させています。例えば以前の犬と猫とを比較したブログで私は猫の視力は犬を上回ると書きましたが日本犬の視力は間違いなく飼い猫以上であり、その代わりに日本犬の嗅覚はそれほど優れていません。日常必要でないものは確実に自然に退化して必要なものだけが進化していきます。これを日本の猟師に合わせて進化した犬が日本犬であり世界的にもかなり特殊な性格を持つ犬になっています。現在世界中で柴犬が人気上昇中であり世界中に柴犬を持つ愛犬者が増えていますがこの犬としては小型であるはずの柴犬が「飼うのは非常に難しく犬を飼う初心者が飼うべき犬ではない」と言われているのは柴犬が日本犬独特の進化をしている為です。日本人の犬の初心者にとっては柴犬ほど飼いやすい犬は他に無いほど飼いやすいのに海外では全く違うようです。基本的に日本犬は主人に忠実で純朴な犬ですが主人以外の人間には極めてなつきにくく警戒心が強く激しい気性を持っています。西洋の犬とはある意味で全く別の動物と言えるほど外見だけでは無くその内面も違います。

犬から見る日本人のルーツ

さて、本題に戻って日本犬から日本人のルーツを考えてみましょう。当時の気象や稲の栽培時期、そして日本犬のDNAから見た日本人のルーツは現在のパキスタン周辺の様です。そこから氷河期の中国大陸などは経由せず南から東南アジアを通って日本列島に定着したと考えられます。そして氷河期の終わりとともに日本人が東アジア全体に稲の栽培を伝えていったと見るのが順当なようです。では「縄文人弥生人の人種や文化の違いをどう説明するのか」と言えばこの両者は確かに全く違いますが先に日本列島に入った縄文人のかなり後に稲作の技術の優れた弥生人が徐々に入っていったと私は考えています。「文化の進んだ弥生人縄文人を滅ぼして日本人になった」という説はかなりの無理があり「日本列島に来る」という事は少なくとも海を渡って来なければならず3000年以上も前に一度にそんな戦争ができるほど大量の民族が海を渡って来られる訳も無く、日本国内に縄文人弥生人が戦った跡もありません。何よりも現在の日本人のDNAには弥生民族と縄文民族とのDNAが同様に入っておりどちらのほうが強く出るのかは個人によっても違います。これは縄文人弥生人とが大きな争いも無く共存していた事を証明しています。縄文人弥生人とは全く違う民族ですが先に日本に入った縄文人と後から日本に入った弥生人とがうまく融合して現在の日本人になったと考えるのが一番自然だと私は思います。日本人のDNA配列は東アジアの中でもかなり特殊であり、そのDNA配列は近くにいる民族ほど遠くなり、かなり遠くに離れた民族ほど近くなるという特徴を持っています。この特徴と人間と一緒に来たであろう「犬」の起源を考えると日本人の祖先は日本海を渡ってきた民族では無く長い時間をかけてインド洋から南シナ海を通って南からたどり着いた民族であると言えると思います。だからこそその遺伝子構造は遠くにいる民族ほど似ているのだと考えられます。

あとがき

これが私が「犬」という動物を通してみた日本人という民族のルーツであり日本犬と西洋犬との違いです。この前のブログの最初に私が書いた日本人はロバや馬車や羊を使った歴史が全く無い事の理由は日本人独特の動物に対する優しさであると思っています。そこに住む人間が楽をする為に一代で終わる雑種であるロバを作る事も、移動するには早くても乱暴な乗り物である馬車を作る事も、羊の毛を刈って生活する事も当時の日本人の倫理観とは遠く離れたものであったのは間違いの無い事実だと思います。現在は絶滅危惧種に指定されているアホウドリでさえ明治時代までは全くその数を減らしていませんでした。アホウドリの生息地である南鳥島は江戸時代には流罪になった罪人を島流しにする島でした。極めて食料が少なく餓死してしまう人間もたくさんいた状況でも島流しにされた罪人はこの滑走しなければ飛ぶ事も出来ず、簡単に捕まえる事が出来るアホウドリを自分の食料にする事は殆どしませんでしたし、この島でアホウドリを捕まえて食べた人間が他の罪人から軽蔑されていた記録がはっきり残っています。「日本人は素晴らしい」と私はこの話からも素直に思います。

さて、次回はいよいよ「日本の猫」ですがこの日本人の動物に対する思いは「猫」にも全く同じように注がれています。「猫と日本人」との関係もかなり古くからあり、良く「最近の猫は贅沢になってネズミを捕らなくなった」という言葉を耳にしますが実は「日本の猫」に関して言えば1000年以上前から殆どネズミなど捕っていません。農耕民族になり食料の備蓄を始めた日本人にとってせっかく貯めた食料を食い荒らすネズミが深刻な問題であったのにも関わらずです。

「日本の犬」が特殊であるのと全く同じような理由で「日本の猫」も世界から見れば物凄く特殊な動物です。西洋の猫がネズミを当たり前の様に捕るのに「日本の猫」は殆どネズミも捕らないのに今日まで日本人に長い間愛され続けてきました。この不思議な日本人と日本の猫との関係を次回は出来るだけ解りやすく詳しく記述したいと考えています。

宜しくお願い致します。

動物ブログ

我々の身近な親友、犬、猫について(5)

日本の犬(1)

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少し長い前書き

サラブレット」と聞いて皆様は何を想像されるでしょうか?  殆どの日本人のかたは馬を思い浮かべると私は考えていますがどうでしょうか?

ところが正確には「サラブレット」とは馬の品種の名前では全くありません。正確には「サラブレット」では無く「ソロ ブラッド」でありこれはその動物が純血種である意味になります。馬を始め牛でも豚でも犬でも血統書のしっかりしたその動物はその祖先を辿っていくと特定の一頭の動物にたどり着いてしまいます。欧米での「サラブレット」はすべてこの一頭から派生した完全な純血種です。

ところが同じ様に血統書を持っている日本産の動物は牛でも犬でもその先祖は複数になり決して純血種では無い動物が立派な血統書を持っているという世界的に見た時にかなり奇妙な状態になります。これが日本人特有の動物に対する観念の根元になります。

日本以外の先進国ではこんな事はまずあり得ません。日本が先進国になった歴史は非常に古く室町時代の末期には日本は立派な先進国であり戦国時代の末期の日本の軍事力は間違いなく世界一でした。日本の歴史は長いだけでは無くその文明もかなり昔から非常に進んでいたのが事実です。

ところが「動物に関して」特に「家畜に関して」の日本の歴史はその他の先進国と大きく違います。例えば馬とラバとの一代雑種であるロバ、ヨーロッパやアメリカでは当たり前に使われてきた丈夫で粗食に耐え人間の役に立つこの動物を日本人は一度も使った歴史がありません。馬の使用法でも日本人は特殊です。鎌倉時代の侍が誕生した頃から馬は侍の乗り物としての家畜として飼育されてきました。これはヨーロッパも同様で騎士の乗り物は同じように馬です。しかし日本に馬車を用いる文明が歴史上に一度も登場した事はありません。平安時代の貴族の乗り物は牛車であり牛車など人間が歩くよりも遅いものであり実用的な乗り物とは全く違います。江戸時代の実用的な一般庶民の乗り物は籠であり皇族や武士であれば輿と呼ばれるものであり両方とも人間が人間を担いでいるだけのものです。日本人に移動の必要性が無かった訳では決して無く参勤交代の大名行列などは物凄い出費を伴うものでした。この大名行列にもロバも馬車も一切関わっていません。「ロバや馬車を使っては駄目だ」などという命令が幕府から出された事が一度も無いのにこの日本人の姿勢は世界から見れば実に奇妙です。ロバや馬車の存在については多くの知識人が知っていましたが一度も使われていません。

もう一つ、羊についても全く同じです。日本人の生活は狩猟民族から農耕民族に変わった歴史はあっても遊牧民族になった歴史は一度もありません。羊の存在など1000年以上前から知っていたにも関わらず見世物として輸入された歴史はあっても生活の道具として羊が輸入された事は長い歴史の中でも一度もありません。羊を育てる為の充分な環境があるにも関わらずです。

日本人の倫理観や動物に対する観念は他のどの国家と比べても独特であり極めて特殊です。今回のブログではまずはその謎解きからしてみたいと思います。したがってこの「日本の犬」というブログは複数回にせざるを得ません。欧米の人間と日本人とは何が違うのか? からまずは入っていきます。この第一回で「日本の犬」まで本格的にたどり着く事は出来ないと思いますが、これはこの次に書く予定のブログである「日本の猫」とも重なる大切な部分だと私は感じています。ご了承ください。とはいえ題名が「日本の犬」であるのですから今回のブログは「犬」を中心にして考えてみたいと思います。宜しくお願い致します。

欧米の犬と日本の犬との違い

「犬」という家畜が他のどの動物とも違うのはその品種の多さです。1873年に設立された世界最古で最も権威のある犬の血統書団体であるイギリスのケネルクラブでも100種類以上の犬が純血種として認められ血統書が発行されています。しかもケネルクラブの登録数は少ないほうでありアメリカケネルクラブジャパンケネルクラブでは登録されて純粋犬と認められているのはもっと数が多いのが実情です。「犬」の品種の多さとは他の動物のそれとは全く違います。体の大きさからその体型、毛の長いものや毛の短いもの、コリーの様に顔が長いものからブルドックの様に扁平な顔のもの、足の短いものから非常に足が長いものなど実に多彩でありこんな多彩な変化のある動物は家畜は勿論野生動物でも一つもありません。最小であるチワワの体重は1キロほどで最大であるグレートデンセントバーナードの体重は80キロを上回ります。80倍以上の差が生物学的に全く同じ動物にあり生理的には勿論この二種の雑種は確実に出来ます。チワワでもグレートデンでも祖先は同じ「犬」という一種の動物でありそれが人間の改良により分化しただけです。全く動物を知らない人でもこの二種類を間違える事はあり得ないほど分化されています。これが「犬」の最大の特徴です。

しかし私はこの「犬」の特徴を良い事であるように書きましたが実はこれがアングロサクソンである白人の残忍さの証明です。この登録されている犬種の中で日本産の犬以外の100種類以上の殆どすべての犬がサラブレットです。その最初の一頭が出来上がるまでに千頭から場合によっては数十万頭の犬がごみの様に捨てられ殺された歴史がある事を日本人として決して忘れては駄目だと思います。彼らにとっての犬とは「生き物」では無く「道具」でしかなく役に立たないものは確実に殺され捨てられてきた結果、今の品種の多い純血種がある訳です。結果として洋犬の能力は確かに優れています。猟犬で獲物を見つければポイントするからポインター、獲物を見つけてセットするのがセッターの名前の由来です。シェパードは英語で「羊飼い」の意味であり牧羊犬として改良されてきました。プードルの毛をカットするのは可愛く見せる為では無く水に落ちた鳥を拾いに泳ぎに行くのに毛が邪魔になるからです。ダックスフンドの足が短いのも同じです。ダックスとはドイツ語でアナグマの事でフンドは英語のハウンドでありダックスフンドとはアナグマ用の猟犬の意味です。犬に追いかけられたアナグマはすぐに巣穴に逃げ込みます。アナグマの巣穴は極めて狭く複雑な構造であり普通の犬では巣穴に入ったアナグマと巣穴の中で戦い巣穴からアナグマを引きずり出す事は不可能です。そこで立ったままアナグマの巣穴の中に入っていける極めて足の短い猟犬が必要になり改良されて出来たのがダックスフンドです。あの短い足は決して観賞用では無くアナグマ捕獲の為の武器です。ブルドックのブルとは勿論牛の事でありブルドックは牛と闘うために作られた闘犬です。牛に噛みついた状態でも呼吸が可能なように鼻がへこんで顎が突き出ている訳です。この白人の徹底した「人間の道具としての犬の改良」がヨーロッパに多彩な犬種を生み出しました。この動物に対する白人の姿勢は馬でも牛でも豚でも全く同じでありそれゆえにヨーロッパの家畜の殆どがサラブレットになっている訳です。

これに対して日本の犬はそんな悲惨な歴史を全く持っていません。結果として世界中にいる犬種の中で最も野生の人間に飼われる前の状態に近い犬は間違いなく日本犬です。日本人は1万年以上前から犬を人間の親友と位置付けて暮らしてきました。これは猫に対しても全く同じです。シェパードやシベリアンハスキーが野生種に近く見えるのはそう見える様に改良されてきただけであり日本犬とは全く違います。縄文時代の壁画に描かれている犬は現在の日本犬である柴犬や四国犬紀州犬と全く体形は同じであり、これは人類の歴史上奇跡に近い出来事です。ですから今でも純粋の日本犬は天然記念物に指定されています。「日本人と犬」との関係はどの国家と比べても極めて特殊です。

しかし日本人が犬の改良に不器用な民族であった訳ではありません。それは一つの品種の犬で確実に証明されています。

チンという犬種について

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チンという座敷犬をご存知でしょうか?  この犬は座敷犬として日本で改良された極めて座敷犬として優秀な犬種です。ヨーロッパで純粋犬として血統書が発行された最初の日本原産の犬であり英名は「ジャパニーズ スパニエル」と呼ばれてきましたがチンがスパニエルであった歴史は全くなく「ジャパニーズ チン」と改名されました。実はこの犬種こそが日本人の極めて優れた技術力を如実に表しています。

他の日本原産の犬と同様にチンはサラブレットではありません。チンの原種は現在のペキニーズ(北京で出来たのでこの名前が付いていますが改良したのはイギリス人です)と近い犬である事は間違いがありませんが性格もその改良の方法もペキニーズとチンは全く違います。座敷犬としてのチンの改良は平安時代の末期から数百年かけて行われてきました。チンの頭にある二つに分かれた黒い模様は侍の髷であり犬種で模様の出る箇所まで特定出来た犬は世界的にもまれな傑作です。この傑作を作る為の西洋のような残酷な仕打ちを全くチンは受けていません。日本人の技術力のすごさはこの犬一種で十分に証明できます。殆ど無駄吠えをしないおとなしい性格、座布団を出されるとその真ん中にきちんと姿勢よく座る態度は西洋人に侍の佇まいがどういうものであったのかを教えさせる非常に優れた犬種です。チンという名前自体が天皇陛下がご自分の事を「朕」と呼ばれている事から来ているとの説が有力でありこの犬種が極めて高級なものとして扱われてきた歴史を持っている事は明白です。「日本人と犬」との関係は人間に飼われだした当初から現在まで全く変わらず平和的であり野生種に極めて近い数種類の日本犬とチンという座敷犬を分化する事によって成り立ってきた極めて世界的に特殊な関係です。

あとがき

私は白人の環境保護団体や動物愛護団体を一切信用していません。その理由はここまでブログをお読みいただいた皆様であれば充分に解って頂けると信じています。この動物に対する白人の態度は家畜だけでは無く野生動物にも同じように向けられてきました。多くの現在保護していれば価値のある動物を次々と絶滅に追い込んだのはすべて白人の仕業です。これに対して日本では明治期まで大型の哺乳類や鳥類が絶滅した歴史が殆どありません。「日本狼が現存している」と主張しているかたが沢山いらっしゃるのは「日本狼が絶滅した理由」が良く解らない事が最大の理由です。ヨーロッパやアメリカでは懸賞金までついて大掛かりなオオカミ狩りを何度もやった事実があるのに対して日本では一度もこんな事は行われていません。明治に入ってから日本に狂犬病が持ち込まれ日本狼の間にそれが広がって絶滅したとの説が一般的ですがはたしてそんな理由で日本全土のオオカミが絶滅するものなのでしょうか?  歴史では奈良の狩谷口で明治末期に捕らえられたオオカミを最後に日本狼は姿を消していますが私は是非現在でもいて欲しいと真剣に思っています。

さて次回のブログですが今回の続きになります。「日本の犬(2)」で現在いる日本犬の遺伝子からその由来を歴史的に解明し、「日本人」と現在呼ばれている人種がどこから来たのかを「犬」という動物の歴史から私なりに解明してみたいと考えています。

宜しくお願い致します。

 

これからの日本と世界

これからのアメリカを考える(1)

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何故本当の事が言えないのか!

トランプの大統領就任が決まってから今まで、特にこの数日私はこればかり考えています、もう一度言わしてもらいます、何故誰も本当の事が言えないのか?!

この事は明らかに親中派であったオバマ政権下では言いたくても言えない事情があり保守を自認する政治家や評論家の皆様でも決して言えない事情があった事は解ります。しかし大統領選挙の結果次期大統領がドナルド・トランプに決定した瞬間から事情が変わったのは確実な事であるにも関わらずテレビや新聞の報道はともかく投稿が自由な動画でさえ誰も口にしないのはおかしな話です。

本来なら国の将来に関する事を若輩者の自分が語る事は出過ぎた行為だと思っています。しかし誰も真実をいつまでも言わないつもりであるのなら私が言わせてもらいます。日本人が日本人である事を取り戻せる絶好の時期が来ているのにこれを黙って見過ごす事は絶対に私には出来ません。真実を皆様に出来るだけ広く伝えてそしてみんなで考えましょう。それが出来ない輩は右派であろうが左派であろうが私は日本人だとはとても思えません。日本の夜明けがすぐそこまで来ているのに政治家や評論家が布団をかぶって眠ろうとするのであればみんなでたたき起こすべきです。私は真実を語ります。

日本に米軍基地がある理由

この事も本当の話は私もこれまで何も言いませんでした。本当の事が表沙汰になれば沖縄の米軍基地反対派に勢いをつける事になってしまうのがその理由で、そうなって本当に米軍基地が撤退するような事がオバマ政権下で起これば大変な事になるからです。

皆様はどうお考えでしょうか?  何故独立国家の日本に戦後70年以上にもなるのに米軍基地があり憲法は一向に改正されない事実をどう思われますか?

沖縄を始め日本各地に米軍基地がある事の真実は実は冷戦時代にソ連の動きを抑える為でも現在の中国が侵略に限りなく近い行為を南シナ海尖閣諸島周辺にしているからでも朝鮮戦争での米軍の出撃の為でもありません。日本に米軍基地が残っている本当の理由はアメリカが日本の行動を抑える為であり日本をしっかりとした独立国には決してさせないというアメリカの思惑の為です。日米地位協定がいつまでたっても不平等なままなのも改正されそうで日本国憲法が全く改正されないのもすべてアメリカの思惑です。

「ビンの蓋論」という言葉をご存知でしょうか?  これは空想でも想像でもなく1972年にニクソン周恩来が正式に首脳会談した際にアメリカ側から出た言葉です。「何故沖縄を日本に返還した後も米軍基地が沖縄に残るのか?」との周恩来の問いにニクソンは「日本にある米軍基地は日本という放っておけば恐ろしい国家になる可能性の高い国のビンに詰められた蓋でありこの蓋が一度開いてしまえばもう中のものが外に出る事を抑える事は決して出来なくなってしまう。だから絶対に撤退は出来ない」と答えました。その蓋がトランプ政権に代わって外されようとしている時にこういう事実を一切話さない保守派とは何のためにいるのでしょうか?

私には奇妙で不思議であり極めて不愉快です。

アメリカは日本を恐れている

これはアメリカだけでは無く第二次大戦の戦勝国すべての思いです。日本という小さな島国は実は白人社会から見た時には現在でも中国以上にはるかに危険な国家です。

2001年にアメリカで20世紀に起きた最大の出来事は何か? というアンケートが取られました。結果は1位が広島、長崎への原爆投下、2位がアポロの月面着陸、3位がパールハーバーでの日本の攻撃です。16年近く古いアンケートだから参考にならないと考えては駄目だと思います。答えた人は半世紀以上前の話を持ち出している訳ですからこの回答は重いものです。ベスト3の中に日本の事が2つも入っておりそのうちの一つはアポロの月面着陸より順位が高いという事は非常に興味深い結果です。

第二次世界大戦に参加したアメリカはナチスドイツの能力については計算通りでした。全く計算が合わなかったのは大日本帝国軍の強さです。これまでアメリカは数多くの戦争を経験してきましたが一番米国兵の犠牲が多かったのも時間がかかったのも間違いなく日本との戦闘です。しかも戦後にアメリカが日本に駐留して驚いたのは日本軍が対 B29用のジェット戦闘機である紫電雷電の開発がもう最終段階に入っており、弐号作戦という名称でアメリカより早く日本が原爆の研究をしていた事です。この原爆開発は予算難の為に途中で中断されていました。中止では無く中断です。ポツダム宣言を受諾して敗戦国になっても日本は軍部が解体されるとは考えておらず軍隊を残したままで国際社会に復帰できればすぐにでも弐号作戦を続けるつもりでした。その時にアメリカが恐怖を感じた事は間違いが無くだからこそドイツと違って日本には徹底したWGIPと呼ばれる洗脳教育が施され日本の新憲法成立にもアメリカが入り込んだ訳です。

「我々が撤退したら日本はすぐに憲法改正すると思っていた」というアメリカ人の言葉を真に受けては駄目です。決して憲法が改正出来ない様に日本の内外から圧力をかけ続けたのは確実にアメリカでありその言葉はリップサービスでしかありません。アメリカとは昔からそういう国家です。ロシアについても日本人は日露戦争と第二次大戦後の千島や樺太での戦争で一勝一敗だと考えていますがロシアから見れば確実に2連敗でありその為に北方領土問題が残っているとしか考えていません。ソ連が戦争を止める9月2日まで日本軍はソ連と闘い北海道近くまで南下したソ連軍を押し戻しました。向こうから見ればこんなものは決して勝利とは呼びません。第二次世界大戦で日本は負けましたがアメリカとソ連という超大国に恐怖を植え付けて見せました。連合国が日本を決してしっかりとした独立国にしたくない気持ちは当然です。

日本人としての普通の感覚を取り戻そう

今回の第一回では結局は日本が今後どうしていくべきかは何も記述できませんでしたが私はこのブログの最後に日本人としての本来の姿を我々が取り戻す事を提案して終わりたいと思います。

「明治時代の日本人はすごかった」とはよく言われる言葉であり私もそう思います。ものの見方が戦後の日本人とは全く違います。内村鑑三は明治期に米国人を「気高く、純粋で正義に満ちた」と表現しました。しかしその一方で日本人は外国の悪意も決して見逃しませんでした。

スウェーデンの植物学者ツュンベリは奴隷を酷使するオランダ人を日本人が心から侮蔑していたと驚きをもって記述しています。副島種臣はペルーの奴隷船を拿捕し、国際裁判も辞さない覚悟でいました。日露戦争の英雄である東郷平八郎はハワイ王朝を凌辱するアメリカを許さず巡洋艦「浪速」でホノルルに乗り込みました。この行為の為にアメリカのハワイ併合は5年も遅れました。この時代の日本人はやっぱり素晴らしいと私も思います。西欧の良い部分だけは確実に取り入れながら批判するべき時には戦争覚悟でも批判しています。

我々も少しは見習いませんか?  平成の日本人はすごかったと後世に少しは足跡を残したいもんです。だからこそ私は何度でも言います。

何故今誰も本当の事が言えないのか?

あとがき

このブログは私は感情任せで書いてしまいました。本当に駄作だという事は解っています。

しかしこれまで胸の中でストレスになっていたものが吐き出せて次回からきちんとしたブログを書けると思います。次回はアメリカという国家の本質について迫ってみたいと思います。私は戦争賛美者でもありませんし今後のアメリカとの関係に亀裂を入れたいとも思っていません。仲良くやっていくのが一番だと思っています。しかし我が国の同盟国であるアメリカを公正中立に見て批判すべき部分は批判すべきであり、それが出来ないのなら同盟の意味は無いのではないでしょうか?

トランプが大統領になった事でアメリカは元の姿のアメリカへと戻っていく事は確実でしょう。その事が日本にとっての大きなチャンスであるとも私は思っています。そのあたりの話をして皆様と今後の日本について考えましょう。宜しくお願い致します。

 

 

 

動物ブログ

我々の身近な親友、犬、猫について(4)

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犬と猫との違い(2)その機能の違い

前書き

さて、前回からこの我々の身近にいる「犬」と「猫」との違いを記述してきた訳でありますが今回はより具体的にこの両者の五感の違いを比較して記述してみたいと思います。

しかしその前にこの両者に共通している事柄から記述致します。この両者がともに食肉目に属する動物でありながら全く違う進化の過程を経てきた事は確実ですが、それでもこの両者ともに食肉目の高等肉食獣でありイヌ科の動物も分類学上は「ネコ目イヌ科」であり共通の部分も確実に多い訳です。その共通の部分をざっくりと前書きで記述させていただいて個別の項目でその身体機能の違いを書いていく事でより皆様にこの両者の違いを明確に映し出したいと思います。その為にこの前書きが多少長くなるかと思いますが宜しくお願い致します。

両者共通の部分としてはまずはその皮膚組織です。両者ともその皮膚は他の動物とは比較にならないほど弾力がある柔らかい皮膚で出来ており皮膚のすぐ下には皮下脂肪がありその下に筋肉があります。これは高等肉食獣特有の特徴であり闘って怪我をしてもその傷が致命傷にはなりにくい状態に初めから出来ています。もし相手に嚙みつかれても噛みついている動物の口の大きさが余程巨大で無い限り弾力のある皮膚のおかげで噛んでいるのは皮膚組織だけであり筋肉にダメージを受けにくい様に出来ています。しかもこの両者とも皮膚組織に汗腺は殆どありません。いくら運動しても汗をかかない動物です。これは肉食獣であるこの両者が自分の匂いを獲物になる動物に気付かせない点で非常に役に立ちます。

次にはその骨格です。両者とも非常に丈夫で弾力のある骨格をしており骨格で弱い部分が殆どありません。偶蹄類の殆どの動物が足の骨に弱い部分を持ち、我々人間が二足歩行を始めた為に腰に致命的な弱点を持っているのに対して肉食獣の骨格は非常に丈夫でありその背骨から肋骨まで弾力性に富んでおり極めて骨を痛めにくく、その首の回転度は180度を超えます。自分の頭部さえ入れば殆どの穴には体全体を入れる事が可能なほどその骨格により体は柔軟性があります。

次にはその内臓です。これはイヌ科、ネコ科ともにその内臓の部位の位置は殆ど同じと言っても良く胃は単純で一つしか無く腸の長さをその体長と比べた比率は人間よりも確実に短く出来ています。つまり彼らの胃腸は人間よりも消化能力が無く人間よりも確実に弱いものです。その代りに彼らは嚥下力が発達しており食べたものが異物であると体が反応した場合には簡単に食べたものをすぐに吐き出す事が出来ます。胃腸が弱い分を嚥下能力で十分に賄って生きていく事が出来ます。彼らの胃は一見すると人間と良く似ていますが全く違うのはその伸縮力であり両者とも完全に空腹の状態であれば一度の食事でその体重の5分の1程度の食事を取る事が可能なほどその胃は簡単に伸縮します。簡単に言えば「食い溜め」が可能な胃腸を両者とも持っており何も食事を取らない状況でも2週間程度の絶食には簡単に耐えられる力があります。東日本大震災の直後に牛や豚が空腹によって簡単に多く餓死していったのに対して犬や猫の餓死の状況が伝えられないのはマスコミの偏向報道では無く現実にそんな状況が無いからです。肉食獣はいつも獲物を捕まえられるとは限らず自然の状態では何日も何も食べるものが無い事が日常でありその為に体も進化しており「食い溜め」が出来て「絶食」が出来ます。この点が人間の胃腸と彼らの胃腸との大きな違いです。

最後にこの両者は出産という人間にとってはある意味命がけになる作業が簡単に行われる点で共通しています。犬が安産の守り神とされているのはそこからですが猫も全く同様で両者ともに人間や他の草食獣から比較すれば信じられないほどの安産です。しかも両者とも一度のお産で通常複数の子供を産み、生まれてきた子供の状態は目も見えず歩く事も全く不可能な極めて未熟な状態で生まれてきます。しかし生まれた子供の成長は早く1か月もすれば何とか歩ける状況になり2か月程度で母親の授乳から離れて通常の食事を取り始めます。しかし、だからと言って親離れする時期は決して早くは無く、自然の状態であれば1年以上もの間親とともに暮らします。

他にも細かい部分での共通点はたくさんあるのが現実ですがざっくりと両者の共通点を書けばこういう部分であり、我々人間と彼らとがかなりの部分で進化の過程が違う事は明白です。さて、それでは次に機能別に彼らの違いを記述していく事に致します。

視力

この視力という点では圧倒的に猫の能力が犬を上回ります。この両者ともに人間と同じ様に2つの目で一つのものを見つめる様に出来ていますが見てわかる様に猫の目の位置のほうが犬の目の位置よりも前面に出ており犬よりも猫のほうがより両方の目で一つのものを確認している状態である事は明白です。獲物にする動物と自分との距離感も視力そのものも猫のほうが優れており犬の視力が水平方向に注がれているのに対して猫の視力は水平、垂直両方に働く3次元的なものであり、犬の視力は人間と比べても近眼であり猫の様には発達していません。但し、猫の色彩能力は人間から見ると色盲の状態でモノクロにしか映像は見えずこれは犬も同様で色彩の認知能力はこの両者よりも人間のほうが確実に高いのが現実です。これはもともと猫も犬も夜行性の肉食獣であり色彩感知能力が必要では無かった事が原因です。

しかしこの場合の視力とは我々が視力検査を受ける際の静態視力の数値です。動いているものを見つける動体視力の測定値は猫も犬も人間の30倍以上という極めて優れた優れた視力を持っており、この能力は我々人間が見ているテレビや動画などがコマ送りの映像にしか見えない視力です。もし皆様が可能であるならば録画の再生速度を30分の1にして見て頂ければそれがちょうど彼らの見ている世界である事が解ると思います。肉食獣の動体視力の鋭さはそこまで発達しています。

聴力

聴力を含む耳の機能についても優れているのは確実に猫です。猫の三半規管は犬や人間よりも非常に発達しており逆さまになった状態で落とされた猫が反転して確実に足から音も無く降りられるのはこの為です。猫が車や船に酔う事もまずあり得ない話であり、高度に発達した三半規管によって自分の置かれた状況に即座に体調を整えて見せます。犬は一般的には人間よりもむしろ車酔いなどに弱いのが現実でこれも猫の耳の機能が3次元的に発達しているのに対して犬の耳の機能は二次元的です。ところが犬が優れているのは回数を重ねるとすぐに3次元的に耳の機能を発達させ車酔いもしなくなりむしろドライブを楽しみだす点です。逆さにして犬を落とせば最初は背中からドスンと落ちますが繰り返すと極めて短期間で猫と同じように足から綺麗に着地して見せます。この適合力の高さが犬の特徴で教えれば3次元的な反応を即座に覚えます。

さて肝心の聴力ですがこの能力は犬も猫も人間の15倍から場合によっては20倍以上あります。違うのは何度も述べた様に犬の聴力がほぼ水平方向にしか働かない2次元的なものであるのに対して猫のそれは水平垂直に働く3次元的に発達している点です。さらに人間の聴力が1万5千ヘルツ以上の「超音波」と呼ばれるものを全く聞き取れないのに対して彼らの耳は約4万キロヘルツという考えられない高周波の音波まではっきりと聞き取れます。これはコウモリが出す超音波をはっきりと聞き取れる能力であり、この犬の能力を生かしたものが警察犬や軍用犬に用いられるゴールトンホイッスルという超音波を出す「犬笛」であり、彼らは人間の命令が何であるのかを人間には全く聞こえない高周波の音波を正確に聞いて行動します。聴力においても猫のほうが犬よりも上ですが人間と比べれば犬の聴力も極めて優秀です。

嗅覚

犬が猫よりも身体能力が決して劣っていないのはこの嗅覚の力の差だと思います。

猫の嗅覚が決して鈍い訳ではありません。人間と比較すれば数千倍からものによっては数万倍猫の嗅覚は発達しており、その能力は野生動物全体の中でもかなり鋭いものであるのは確実です。ところがこの「嗅覚」という部門においては犬は殆どの野生動物の力を完全に超越します。犬の嗅覚は人間と比較すれば100万倍から酢酸の分析能力においては人間の1億倍を超えてきます。「犬は鼻でものを考え鼻で行動する」と呼ばれるのはこのずば抜けた嗅覚の力であり、しかも犬のこの能力は年を取って視覚や聴覚が衰えても死ぬまで殆ど衰えません。嗅覚の鈍い人間から見ればこの能力は超能力と言っても過言では無く、散歩に連れ出した犬が匂いを嗅いでいる時に彼らはそこに匂いを残した他の動物の個別の情報である大きさから動物の種類、体調までもすべて匂いだけで簡単に分析します。こんな能力を持っているのはイヌ科の動物以外では一部のイノシシが近い嗅覚を持っているだけであり何と比較してもずば抜けた力です。たくさんの人が降り立つ空港のゲートで特定の人間だけを探し出す麻薬捜査犬や地震で倒壊したがれきの中から人間の匂いだけを特定する救助犬は犬以外の動物では絶対に不可能な離れ業です。

この能力においては犬は猫だけでは無くあらゆる動物を遠く引き離す特殊能力を持っています。

あとがき

「犬」と「猫」との共通の能力、全く違う能力がお解り頂けたでしょうか?

この両者はともに食肉目の肉食獣として進化してきた動物であり似ている部分も多いのが現実ですが全く違った進化の道を歩んで来たことも明白です。だからこそ人間にはこの2種類の友人が必要であったのだと私は考えています。

さて、次回ですがこの両者を一度切り離して「日本の犬」を書いてみたいと思います。その後は「日本の猫」を書く予定ですが何故「犬」のほうを先に書くのかと言えばこの「日本の犬」の歴史が日本人のルーツをかなり的確に証明しているからです。

「その人種がどこからやってきていつ頃からそこに定着したのか?」という謎を解き明かす為には単純に昔の遺骨のDNAを調べれば解ると考えるのは正解とは言えません。調べる遺骨というのはたいていがその地方の有名人物である場合が多く他所から来たからこそ有名になれた可能性も高い訳です。真実を調べたいのであればその民族の主食のDNA(日本人ならコメのDNA)を調べる事やその時代の気象情報を調べて現実的にそこに移動できたのかどうか? まで調べないと解らない訳です。大きな戦争があって前の民族が死滅して新しい人種が後から入ってきて前の文明をそのまま引き継いだなら主食のDNAでも真実は解りません。日本には固有の犬がいくつかおり縄文時代の壁画にも犬と人間が狩猟をしていた絵も残っています。現在いる日本の固有の犬と縄文時代の犬のDNA、その時代の人間のDNA、その時代の気象などすべてを考慮した研究から最近日本人のルーツについて興味深い事実が解ってきました。日本人は朝鮮半島から渡ってきた民族や中国の東北部やモンゴルからの渡来民族では決して無い事が確実に人間とともに移動してきたであろう犬のDNAから解ってきています。このブログはあくまでも「動物ブログ」であり私は「動物」という観点から日本人のルーツを追いかけます。

縄文時代の「狩猟民族」である日本人が犬を使って狩りをしていたという真実は遺跡の発掘からも明らかであり、その犬がどこから来たのか? を調べる事は日本人のルーツとは切り離せない問題であると思っています。

日本人と「犬」、日本人と「猫」との関係も実は世界のどの民族と比べても特殊な関係でありこういう付き合い方をこの2種類の動物と歴史的にしてきた民族を私は他に知りません。「動物と人間との理想的な関係」をグリンピースやシーシェパードが真剣に求めるのであればまずは彼らに「日本人とイヌ」「日本人とネコ」の歴史を学んでほしいくらいです。次回のブログでは比較させてもらう為に「ヨーロッパ」や「東アジア」での彼らと「犬」「猫」の取り扱いも記述させてもらうつもりです。

世界中の動物愛護団体を敵に回しても私は書かせていただきます。真実を書いているのは私であり歴史をゆがめているのは向こうのほうであるという自信が私にはあります。そういう訳で次回は本来の動物ブログから少し外れた「日本の犬」を書かせていただきます。宜しくお願い致します。

動物ブログ

我々の身近な親友、犬、猫について(3)

犬と猫との違い(1)

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前書き

前回のブログでは「犬」「猫」と人間との関りの歴史を記述してその共通点を書き出してきた訳ですが、今回はこの両者の違いを出来るだけ詳しく述べてみたいと考えています。「犬」と「猫」とはともに食肉目に属する動物でありその体形から歩き方まで実に良く似ていますが「肉食獣の進化の過程」という観点から見ると全く違う動物であり、これほど進化の過程の違う動物も珍しいくらいに違うのが現実です。

「猫」はネコ科として究極まで肉食獣が進化した動物であり「犬」はイヌ科として究極まで進化した動物ですがDNAという遺伝子的な観点からも全く違います。両者の体形が良く似ているのは結果として最適な肉食獣として進化した両者が肉食獣の理想の形として良く似たものになってしまっただけであり、似ているのは体形だけでその他はすべて違うと言っても過言では無いくらいに違います。純粋に肉食獣として進化の過程を上り詰めてきたのは間違いなくネコ科でありあくまでも独自で特殊な進化をしてきたのはイヌ科のほうです。両者の知能の比較が困難なのはそこであり人間が良く用いる知能指数(IQ)という知能の測り方であれば優れているのは確実にイヌ科の動物のほうです。しかしこの「IQで比べる」というのは人間が考えた方法であり人間に近い知能を持つ動物ほどIQは高くなります。つまり人間から離れて進化した動物ほどいくら知能が発達していてもIQは低くなってしまう訳でありこれは「犬」と「猫」という人間以外の動物同士を比較する上では不適格な訳です。ネコ科の動物は単独で獲物を取る肉食獣でありイヌ科の動物は集団で獲物を取る傾向が強いですがイヌ科の動物でも単独で獲物を取る動物もおります。代表的なのはキツネやコヨーテがそうですが彼らの知能は極めて高くしかも集団で獲物を取る他のイヌ科の動物よりもネコ科の動物よりに知能が発達している点が単に「IQで知能を測る」事が間違いである事を証明しています。

とはいえ動物の知能や身体能力を主っているのは間違いなくその動物の「脳」であり「脳の機能」がその動物の能力を決めている事は確実です。そこで今回はまず「脳」の機能について出来るだけ詳しく述べてみたいと思います。宜しくお願い致します。

動物の脳の機能

良く誤解されているのが「脳の重さが重いほど知能が高い」という言葉や「大脳のシワが多いほど知能が高い」と思われている点です。現実には脳の重さもシワの多さも直接その動物の知能とはあまり関係がありません。

例えばゾウの脳の重さは人間よりも重く人間よりも大きいですし、イルカやクジラの脳ははるかに人間よりも複雑でシワも多いのが現実です。それでは彼らは人間よりも頭が良いのでしょうか?  まずは脳の重さの謎から考えてみます。

これは決して一概には言えませんが平均して脳の重さとその動物の知能とはその動物の平均の体重の重さと脳の重さの比率で決まります。体重が軽ければ脳の重さが軽くても知能は高いと考えられており現実にこの比率が一番高い動物は確実に人間です。では2番目なのはどの動物だと皆様はお考えでしょうか?  意外なことにその動物とはチンパンジーでもイルカでも無くもっと皆様の近くにいる動物です。その動物とはカラスでありカラスの体重に対しての脳の比率は人間に次ぎます。私が最初に「一概には言えない」と書いたのはそこでありこれも一概には比較できないものです。しかし現実にはカラスがたいへん賢い鳥である事は確実です。決してこの方式での知能の測り方は間違いとは言えないと思います。

次に脳のシワについてですがこれも直接は知能とはあまり関係がありません。しかし間接的には大きく関係してきます。

動物の脳はその中心部から徐々に周辺部へと発達してきました。つまり脳の機能は中心部にいくほどその生命を生かす為の原始的な役割になります。周辺部である大脳皮質の面積が多いほど知能が発達している事になりシワは全く関係がありません。どんどん周辺部を大きくしていけばより知能が発達する訳です。ところがすべての動物はこの「周辺部である大脳皮質の面積を拡大していく」進化の時点で大きな障害にぶつかります。脳は動物の機能を保つ上で大変重要な要素を持っている為に簡単に外部から衝撃を受けにくい様に例外なく頭蓋骨という固い容器に覆われています。頭蓋骨の面積以上には決して脳は大きくなれないのが現実です。その障害を克服する為に高等動物の脳は頭蓋骨に達する前にシワを作ってそのシワによって頭蓋骨の中でも表面積を増やしていきます。シワが多いほどその動物の表面積にあたる大脳皮質の割合は大きくなる訳であり人間の脳があんな複雑な構造をしているのは決められた「頭蓋骨の中」という空間の中で出来るだけ大脳皮質を拡大しようとして進化した結果です。ですから「脳のシワ」は結果として大脳皮質の面積と間接的に大きくかかわってきます。頭蓋骨の大きさが一定である以上シワを増やして表面積を増やすしか方法は無くだからこそ頭脳の発達した動物ほど脳の構造は複雑化している訳です。

次に「大脳」と「小脳」の関係ですが思考能力を主る「大脳」に対して運動機能を決定する「小脳」という関係はありますがこれも一概には言えないのが現状で「大脳」にも運動能力を決定する部分も多々あり「小脳」にも思考能力を考える部分も勿論あります。これはもともとの原始的な動物の脳が一つしか無かったものが進化の過程でその役割ごとに分化したものであり両方の脳にも原始的な動物であった頃の機能が残っているのが当然であり、他の臓器である「心臓」と「肝臓」との違いの様にはっきりとその役割を決めている臓器とは根本的に違います。その動物の「脳」とは「大脳」「小脳」から「延髄」までも含めて「脳」でありその動物の知能はすべてを合わせた脳の力になります。

「右脳」と「左脳」の能力の違いについてはもっとおおざっぱであり直感力、音楽力、図形力、全体を見渡す力、空間認知力を決定する右脳、言語力、論理的に考える力、計算力、物事の分析力を決定する左脳というのはどちらかと言えばそうだという事に過ぎず右利きの人と左利きの人とではこの機能が全く逆になっている場合も多々あります。「脳」に関する科学とはまだ良く解っていない部分のほうがはるかに多く、人間が眠りにつくシステムやその理由、夢を見る理由についても現在では全く未開拓な分野です。人間自身が自分たちのシステムすら解らない状態で人間以外の、それも人間とは全く違う進化の過程を経た動物同士の知能の比較は非常に困難です。これが犬と猫との知能の比較が出来ない最大の理由です。

「犬」と「猫」との脳の機能の違い

とはいえ「何も解らない」で終わるのでは意味がありません。今回のブログの最後にはこの両者の脳の役割の決定的な違いを記述してみたいと思います。

猫が犬より優れている点は間違いなく直観力であり、それを主る運動機能の高さです。この能力においてはネコ科の動物はすべての肉食獣をはるかに上回ります。出し入れの自由な鞘の付いた爪はネコ科だけに与えられた特殊能力であり敏捷な体がそうした機能を最大限に生かします。「直観的に鋭く働く能力」、この力を最大限に活かせるためにネコ科の動物は究極に進化した肉食獣であると言えると思います。

これに対してイヌ科の動物が優れている部分は物事を瞬時に間接的に考えられる能力です。「犬は賢い」と人に言われるのはそこであり猫とは全く逆方向に進化しています。

少し怖い話になりますが皆様がトラやライオンを鎖でつないで歩いている状態を想像してみてください。その状態でつながれているトラやライオンが鎖でつながれている状態からの自由を求めた場合に彼らは例外なく自分がつながれている鎖を攻撃します。ところがこれがイヌ科の動物であれば最初に攻撃するのは鎖を持っている人間です。瞬時に間接的に自分が自由になる為には何が最適なのか判断して鎖を持っている人間を攻撃する訳です。この犬の間接的に考えられる力をうまく利用したものが警察犬であったり盲導犬であったり救助犬であったりする訳です。彼らはいつも背後にいる人間の状態を間接的に考えて行動するから役に立つ訳であり自分が間接的に人間を助ける役目である事を最初から理解しているので使用する人間と使用される犬との利害関係が完全に一致する訳です。

直観力と身体能力に優れその為に進化した猫、間接的に自分の置かれた状況を判断しその能力を最大限に活かす為に進化した犬、「犬」と「猫」との決定的な違いはそこにありどちらかがどちらかの進化の過程を後追いしたものでは無く完全に別の進化の過程を歩んできて今日の姿があります。一見すると似ているこの両者は実は全く違う動物である事は間違いの無い真実です。

あとがき

もしこの両者が少しでも同じ進化の道を歩んできた歴史があるのなら人間は1つの動物だけと付き合ってきたと思います。全く違うからこそ両者が必要な訳です。

ところが面白いのはこの両者を一緒に飼うと犬が猫化するか猫が犬化する点です。どういう要因でそうなるのかは不明ですが私は両方経験しています。最初は犬が猫の様になりました。木登りを覚え屋根の上で昼寝し完全に猫と同化してしまいました。その次には猫が犬の様にになってしまい犬小屋で犬と一緒に昼寝し、犬の散歩の時にもいつも付いてきたのを覚えています。公園でも他の犬と一緒に遊び犬と同じ食事を最後までしていました。別々に飼っていると仲の悪い両者ですが一緒に飼うと仲良く暮らします。決して同時に飼った訳ではありませんがそれでも問題なく仲良くなります。この現象は現在でも不思議でありその理由は全く解りません。

さて次回のブログですが今回の続きになります。犬と猫との違いをその身体能力の違いから具体的に記述していくつもりです。今回はおおざっぱに身体能力の優れる猫と間接的な思考力に優れる犬と記述しましたが猫のすべての身体能力が犬を上回る訳でも無く犬の間接的な思考能力のすべてが猫を上回る訳でも決してありません。おおざっぱに見ればそうであるという事であり次回はこの両者の能力を出来るだけ細かく一つ一つ見ていきたいと思います。宜しくお願い致します。

 

超常現象を考える

大槻義彦教授に異議あり(後編)

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前書き

さて、皆様とのお約束通りこの(後編)では大槻教授の「物理学による心霊現象や死後の世界の否定」を大槻教授がご専門の物理学で批判していくつもりですが、その前に前回の(前編)を書いた後に「物理学は苦手だ」とのコメントをいくつかいただきました。

それは正常な人間である事の証明です。「物理が得意だ」という人間のほうが確実におかしな人間であって私自身も物理学など苦手で大嫌いです。皆様の学生時代に「物理が得意だ」と周りに言っていた人がいるのならその人の事を思い出していただきたいです。そういう人は確実に変わり者であった筈です。前編でも触れましたがそもそも物理学は定義があいまいで「科学」と呼ばれる項目の中ではまだまだ発展途上の未開発な分野です。ですから普通の人は物理学が苦手で当たり前であり、その事は大槻教授ご自身も勿論ご存知の筈です。ご存知でありながらテレビ番組や著書では物理学で超常現象を否定しておられる、この事実が私が大槻教授が確信犯であり一般庶民を馬鹿にしていると考えている根拠です。

この私の根拠に対して大槻教授が「そんな事は無い」とおっしゃるのであればテレビや一般の著書を書いているよりも物理学会に「物理学による霊の否定」の論文を提出し、学会で発表してください。お立場上そんな事は簡単に出来る筈です。その論文が世界の科学者に認められればノーベル物理学賞は確実に取れます。

かつて相対性理論を発表し速度の変化によって時間も変化する事やこの空間が重力の影響を受けてひずみが生じる事を公表したアルベルト アインシュタインですら彼の遺言は「次に生まれ変わったら配管工になって平凡な人生を過ごしたい」であり、ノーベル物理学賞を受賞したアインシュタインは死後の世界や人間の転生については認めていました。その偉大な功績を塗り替えられるものが発表されれば確実にノーベル賞を取れご自身がおっしゃっている様に今後のオカルト番組や霊能力者の登場を確実に防ぐ事にもなり科学の進歩も阻害されない時代を築く事が出来る筈です。

何故そういう作業に全く手を付けずに素人相手にだけに物理学で超常現象の否定をされているのでしょうか? 答えは大槻教授の考える物理学が他の著名な物理学者から見て通用しないものでありだからこそ大槻教授は殆ど物理学を知らない素人の前だけでご自身の考えを述べられているとしか考えられません。

この(後編)ではそうした大槻教授の述べられている物理学の盲点を暴いていきます。一般の皆様に解りにくい物理用語も書きますので少々退屈に感じられるかもしれませんが何卒最後までお読みください。物理の法則など自然界にある事を論理的に書いたものにしか過ぎず最後までお読みいただければ必ずご理解いただけると私は信じています。それでも解らなければ個別に質問していただければ回答させていただきます。宜しくお願い致します。

エントロピー増大の法則は霊の存在を否定できるのか?

大槻教授は著書の中で「物理、化学の公式は歴史が変わっても絶対に変わらない不変の法則だ」と述べておられます。私も全く同意見で発見された理数系の法則は歴史が流れても絶対に変わらないと考えています。1+1=2であるのは1万年前でも10万年後でも変わらない事実でありこの回答が3になったり1になったりする事はあり得ません。

大槻教授が「霊は物理的には絶対に存在しない」とおっしゃっているのは熱力学の第二法則、一般的に「エントロピーの法則」呼ばれるものと霊の存在が矛盾するからという一点です。では本当に矛盾するのでしょうか?  エントロピーの法則とは正しく書けば

孤立系におけるエントロピー平均すると増大の方向に向かう

というものであり一般の皆様には何の事だか良く解らないと思います。この法則を私が赤字と青字で色を変えたのには意味があるのですがその訳は後で述べるとしてまずはこの法則の説明をしたいと思います。

大槻教授はその著書「冝保愛子の謎」の116ページで「おならをした空気は徐々に部屋中に広がっていくが一旦広がったおならがお尻の穴に集まって来ることは絶対に無い、これがエントロピーの法則だ」と述べられています。確かにこれもエントロピーの法則ですがこの例えは極めて下品であり解りにくいものです。一般的にエントロピーの法則は以下のように説明します。

例えば箱の中にサイコロを10個入れてすべてのサイコロの目を1にします。そしてサイコロの入った箱に蓋をしてその箱をふればふる度にサイコロの目は元のすべて1であった状態からバラバラになっていきます。これを物理学では「エントロピーが増大した」と呼びます。

もう一つの例として試験管に冷水を半分入れてその上に熱湯を入れると最初は熱湯と冷水に分かれていたものが時間の経過とともに同じ温度のぬるま湯になっていきます。これもエントロピーが増大した訳です。

私が最初にこの法則を赤字で書いたのはこの赤字の部分を大槻教授が一切説明していないからで私が説明させていただきます。まず外から絶対にエネルギーが加わらない「孤立系」でなければエントロピーの法則は成り立ちません。水を入れた試験管の例でいえば片方をガスバーナーで熱してもう片方を氷を使って冷やせばどうなるでしょうか? 確実にエントロピーは減少の方向に進みます。

もう一つ、「平均すると」エントロピーは増大するという事です。自然にでもエントロピーは減少する可能性もあります。箱に入れたサイコロの目の例を思い出してください。ゆすった箱の中のサイコロの目がすべて1になる可能性がある事が解ると思います。但しその確率は小学校に入学した子供が1日に百回その箱を90歳までふり続けても出来ない可能性のほうが高い訳です。サイコロの1の目が出る確率は6分の1であり10個のサイコロの目がすべて1になる確率は6の10乗分の1で60466176分の1という恐ろしく低い確率になり、まず確認する事は不可能です。大槻教授のおっしゃられた「おなら」の例でもにおいの分子同士が再び集まってお尻の穴の周辺に戻ってくる可能性もゼロではありません。そんな事は100万年に1度も起こらないほど確率が低いだけです。

大槻教授のおっしゃるように物理学の法則は絶対で不変のものですが正しく教えないと法則自体がおかしいものになってしまいます。大槻教授がおっしゃっているのは青字の部分だけで

エントロピーは増大の方向に向かう」

という事だけでありそんな法則自体が物理学上あり得ません。エントロピーの法則とは「確率の低い事は起きにくい」という当たり前の事を法則として定義しているだけのものでありこんな法則だけで心霊現象を否定できるものでは決して無い訳です。幽霊を見たり超常現象を経験している人の多くは霊や神や仏を信じています。そういう人にとってはこの世の出来事は決して「孤立系」ではない訳でこの法則自体が適応出来ません。大槻教授は物理学者であり確実に私よりも物理の知識をお持ちでありエントロピーの法則についても真実は解っていらっしゃる筈です。そういう人がわざわざ物理の法則をしっかりと伝えずに持論を主張する事は大きく日本の物理学の進歩の阻害なる確信犯の犯行です。絶対にやめて頂きたい。

物理学の法則は絶対で不変であり「エントロピーの法則」も確かにあります。しかし「エントロピーの法則」では決して霊の否定も生まれ変わりの否定も説明できません、これが物理学の真実です。

あとがき

大槻教授は確かに日本の物理学の権威の一人ですが日本だけに限っても物理学の一流の学者は何人もいらっしゃいます。まして世界中を見れば物理学者で大槻教授レベルの人はたくさんいらっしゃる訳です。ところが少なくとも私は「物理学で心霊現象を否定できる」と公言しておられる人を大槻教授以外には知りません。これはおかしな話であり、本当にそんな事が出来るのであれば大槻教授以外にも必ずたくさんの学者が出てくるはずだと考えるのは当然です。

とはいえ私は大槻教授が好きであり大変尊敬しています。大槻教授が霊の存在を否定する事も自由です。しかし科学の真実を曲げてまで持論の正当性を証明しようとする事はオカルトブームなどよりはるかに悪質であり物理学の知識の乏しい一般庶民に間違いだらけの物理法則を教えて霊の存在を否定する事はこの世のあらゆる科学の進歩に害しか与えない間違いだと私は思っています。したがって今後もそういう事が行われるのであれば私はいつでも非難させていただきますし、私の書いている事が真実でないと思われるのであればいつでも議論には応じますので宜しくお願い致します。

 

超常現象を考える

大槻義彦教授に異議あり(前編)

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前書き

大槻義彦氏は早稲田大学理工学部教授、理学博士であり、テレビ番組でもよく超能力や超常現象の否定派として登場しているのでご存知の皆様も多いと思います。「火の玉現象」をプラズマが引き起こす現象であると科学的に証明された事でこの人の名前は一躍有名になりました。

実は私自身この教授を大変尊敬しています。小学生の頃、夏の夕方の夕立が上がった後の公園に犬の散歩に出かけていた私は目の前に光り輝く火の玉が通り過ぎるのを目撃しました。「火の玉」というよりも「光の玉」でありあれはいったい何であったのか不思議な思いでしたが、その後しばらくしてこの大槻教授の「火の玉研究」の発表がされて自分の見た超常現象のすべての謎が完全に解消されました。本当に感謝しています。

しかしこの人の超能力や霊に対する批判は「やりすぎ」としか思えない、中途半端に物理学を引き合いに出してすべて批判してしまう、これは無茶だと私は思います。プラズマ研究の第一人者である大槻教授が私よりも物理学の知識が無い事など絶対にあり得ない話であり、この人が物理学で超常現象を否定しているのは完全な確信犯だと思います。私も今後カルト集団やオカルト現象を否定していくブログを書いてくつもりですが最初に私のスタンスと大槻教授の姿勢は全く違うものである事を書いておかないと、おかしな誤解を生みかねない、ですから私が超常現象や世界の不思議な出来事を私なりの考えでブログに書く前にまずは(前編)(後編)に分けて大槻教授を徹底的に批判させていただきます。テレビで述べておられる事もおかしな理屈が多いのですが皆様にその根拠を探していただくのも困難になるので大槻教授の著書から批判させていただきます。

資料は悠飛社から出版された「冝保愛子の謎」と鉄人社から出版された「江原スピリチュアルの大嘘を暴く」の2冊です。ご興味のあるかたは是非取り寄せて読んでいただきたいです。この本は実によく出来ており私も書いてある事の8割以上は賛成出来るものでありなんの意義もありません。ところが残りの2割ほどとこの本を書いた大槻教授の意図、超常現象や霊を否定する考え方の根本が大槻教授のご専門である物理学から見ても明らかにおかしい。私自身も冝保愛子や江原啓之など全く信じていませんが、彼らを批判する大槻教授の根本概念が間違っているのであればまずはそちらのほうから批判しなければならないと考えています。資料がたった2冊であるのは少なすぎる観がありますがこの人が書いている著書の概念はどれも同じであり充分に2冊で足りると私は判断しました。今回の(前編)では超能力や霊に対しての大槻教授の根本的な間違いと「物理学」という学問のあり方を批判し、(後編)では大槻教授が超常現象否定に出してきた物理の法則とその論調の間違いを具体的に述べ、著書の中のどの部分がどう間違っているのかを細かく見ていきたいと思います。宜しくお願い致します。

オカルトブームは人類の科学の進歩を後退させるのか?

この2冊の著書に共通しているのは大槻教授がこれらの本を書いた動機です。最近のオカルトブームは青少年の学校で学んだ科学知識を後退させ科学の進歩を阻害し世の中に悪影響しか与えないので私はこの本を書いたとはっきりとおっしゃっています。

超能力や心霊現象は未科学では無く非科学であり絶対にこれを認める事が出来ないともはっきりと記述しておられます。一見ごもっともなご意見ですがはたしてそうでしょうか?

大槻教授が冝保愛子や江原啓之の個別の事項を持ち出してそれを科学的に批判していく事は有意義な事である(それでもおかしい部分は多々ありますがそれは(後編)で書きます)が実は科学の進歩を一番阻害するのがこうした一流の科学者たちの一方的な思い込みです。

具体的な例を申し上げましょう。皆様は風邪をひかれた時にビタミンCを取りなさいという言葉を聞いた事があると思います。ところが薬局で「ビタミンCは風邪に効く」との張り紙を見た事は少ないと思います。もし薬局にそうした張り紙があったとしても厚労省がその薬局の視察に行く時にはすべてその張り紙は外されます。現実にはビタミンCは確かに風邪に効きます。しかし現在の医学でそれを臨床的に証明し、何故風邪に効くのかを科学的に証明するまでは「ビタミンCが風邪に効く」というのは都市伝説でありなんの科学的な根拠もありません。

こうした「都市伝説」を科学的に証明した事例もあります。「秋田美人は肌が綺麗だ」という言葉は完全な都市伝説でした。ところがこの都市伝説を科学で証明した企業があります。化粧品のシェアの国内第一位に位置する資生堂です。資生堂は長い歳月と莫大な研究開発費をかけて何故秋田県の人間の肌が綺麗なのかを解明し、少し前までの秋田県の女性がコメの研ぎ水で顔を洗っていた事実に注目し、コメの研ぎ水から美白成分を検出して「ホワイテス」という美白剤を販売しました。この話は私が直接資生堂の研究員から聞いた話であり間違いはありません。資生堂の美白剤「ホワイテス」が高価なのは開発するまでに莫大な研究費がかかっているからです。この「ビタミンCは風邪に効く」「秋田美人は肌が綺麗だ」というのを大槻教授の様に「なんの根拠も無い都市伝説で非科学だ」と断定してしまったら科学の進歩はそこで止まってしまいます。

超常現象についてもこれは全く同じです。かつて大槻教授自身が「火の玉」を見た事から彼は「火の玉研究」を始めました。同じ様に現在解明されていない超常現象を経験している人はたくさんいます。その現象を一つ一つアカデミックに研究する事は大きな科学の発展に役立ちます。絶対にやっては駄目なのは「超常現象はすべて霊の仕業だ」とか逆に大槻教授の様に「そんなものは物理的に存在しない」と決めつける事であり、この事こそが人間の科学の進歩に深刻なダメージを与えてしまう事になります。人間の脳はテレビから入ってきた情報をそのまま受け入れるのでは無く、その真偽を判断して自分の考えにします。オカルト番組の放映は全く科学の進歩の阻害にはならないものであると私は考えています。

物理学という学問

大槻教授はこの2冊の本の中で冝保愛子や江原啓之の番組の最後に「この番組はフィクションです」とか「これは単なるショーなので、皆さんは、そのように考えて本気にしないように」というタイトルを入れる事を提案しています。

皆様はそんなタイトルが入ったオカルト番組を真剣に見ようとするでしょうか?

あり得ない話で絶対に無理な注文です。その代りテレビ局は「この番組で放送した内容はまだ科学的に発見されていない真実です」というタイトルも一切付けていません。つまり「番組の真偽は視聴者の皆様で考えてください」という事であり私はそれでなんの問題も無いと思っています。大槻教授は我々一般庶民の事を馬鹿にし過ぎています。我々は自分自身で考えて答えを出す程度の知能は持っています。

そもそも科学、その中でも物理学というのは定義があいまいな学問です。ニュートンが発見した力学はこの世界に実在するあらゆる事象を数字で説明していく科学です。摩擦係数や重力計算、物質の原子構造による重さの違いなどすべて自然現象を数学的に証明したものでした。ところが20世紀に入ってからの物理学は一人の学者によって革命的な変革を遂げます。アルベルト アインシュタインによる相対性理論の発表です。

現在の宇宙科学でも地球以外の星の大きさや重力、その星までの距離を測る作業にはすべてニュートンの発見した力学の応用で成り立っています。しかしニュートンの力学をいくら応用しても全く解らない事象が数多く出てきています。宇宙に開いた巨大な穴であるブラックホール皆既日食時に見られる太陽の空間のひずみ等は力学では絶対に証明出来ません。ニュートンの力学に対してアインシュタイン相対性理論が理論であり相対性力学に変わらないのは現在の物理学では相対性理論をすべて説明できないからです。しかしアルベルト アインシュタインの没後にも相対性理論に対する実証実験は何度も行われており、現在まで相対性理論と矛盾する結果が出てきた事は全くありません。光のスピードがどんな条件であっても絶対に変わらない事は車に付けているカーナビやスマホの地図検索で容易に証明出来ています。光速近くまで加速された粒子の寿命が延びる事も数年前に発表されました。相対性理論の証明は確実に近づいています。

この理論によると我々がこれまで学んできた相対速度の計算も間違いになってしまいます。50キロで走る車と60キロで走る車が水平にすれ違う速度は厳密には110キロでは無く109.999999999・・・となってしまいます。ではその公式である

T=√1-Ⅽ2/U2/T₀

というものを小学生から教えないと大槻教授の理論では嘘を子供に教えている事になってしまいます。

冗談ではありません。大学の数学科の学生がやっと理解出来るレベルの一般相対性理論の速度公式をどうやってはるかに小さな小学生が理解できるのですか、大槻教授

あいまいでいいんです。特に物理学はあいまいに覚えるところからスタートするものだと私は思います。円周率であるπの値は小学生では3、中学生になれば3.14、高校生になってからやっとπが無理数である事を教える現在の教育に何の問題があるのでしょうか。それとも大槻教授は小学生の理科の授業で先生が「これから私が教える事は真実ではありません」と子供に言わなければ日本の科学の発展が阻害されるとお考えなのでしょうか?

オカルト番組大いに結構、オカルトブームも偽超能力者も大歓迎、こうした世の中の様々な情報の中から人間は疑問を感じ、それによって科学も文化も進化していくという私の理論がおかしいというのなら大槻教授でも大槻教授の支持者でも私はいつでも議論に応じるつもりです。

あとがき

大槻教授はその著書の中でもテレビの討論番組でも「超能力や霊の存在が認められたら私はその時点で大学教授を辞める」と公然と言い「その為に辞表をいつも持ち歩いている」とも述べています。辞表や退職届を出した人はご存じでしょうが辞表も退職届にも絶対に必要なのは日付であり日付の無い辞表など辞表とは呼びません。

それでも「違う」と大槻教授がおっしゃるのであれば是非その辞表を大学に提出して大学をお辞めになってください。そうでなければ辞表をいつでも持ち歩いている事は自分の宣伝でしかありません。

通常の人間が大槻教授と同じ事を言っても私はここまで非難も中傷も絶対にやりません。東大卒の早稲田大学の物理学の教授が言っているから非難しているだけです。何も解らない一般庶民と違って大学教授の発言は世の中を動かし、人間の思考に影響を与えその後のその人の人生にすら関係してくるほど重い発言です。ですからそういう立場の他の人は自分の発言力の大きさを考えておかしな事は絶対に言わないように日常を過ごしている訳です。端的に言えば大槻教授の発言は冝保愛子や江原啓之よりもはるかに重い言葉です。だから私は黙って見過ごせないだけです。

それでは皆様、次回はこの大槻教授の言う物理法則の間違いと冝保愛子や江原啓之に対する個別の事柄についての間違いを出来るだけ解りやすく記述していく(後編)を書きたいと思います。宜しくお願い致します。