動物ブログ

我々の身近な親友、犬、猫について(2)

人間との関り

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前書き

前回のブログでは犬、猫がどういう動物であるのかを書きましたが今回は彼らがどう人間と関わって人間の家畜やペットになったのかを私の推測も交えて記述したいと思います。この事は推論を入れないと書けません。牛や豚や馬とは全く違う犬の家畜性、ウサギや鳥などの小動物とは全く違う猫の愛玩動物としての歴史を彼らは持っている訳で動物学者の中でも彼らと人間との関わりの歴史の始まりについては全く解っていません。家イヌや家ネコが野生にいるはずも無くどこかの時点で彼らは人間と接触を持ち改良され現在の姿がある訳ですがその歴史は他の動物に比べて恐ろしく古くはっきりした事は解らないのが現実です。

それでは彼らが人間といつ関りを持ったのかをあいまいながらもどうして特定出来るかと言えば遺跡からです。人間は旧石器時代から狩猟によって生計を経てていました。狩猟は勿論他の動物を捕まえて食べる為であり当然骨などの食べられない部分もごみとして出てくる訳です。古代の人間はそうしたごみを決まった場所に捨ててきた訳ですが、ある時期から犬の骨、猫の骨はそういうゴミ捨て場から殆ど出てこなくなり人間の墓に近いところから出てくるようになります。これは人間が犬や猫を特別な動物とみなしていた証拠であり彼らと人間が共存してきた事を意味します。犬はいつから犬になり猫はいつから猫になったのかを調べる為には遺跡を調べるしか方法はありません。ですから今回は私の推測も交えて「犬」、「猫」を個別に見て人間との関りを記述してみたいと思います。宜しくお願い致します。

イヌと人との関わりの歴史

犬が家畜化された歴史は他のどの動物よりも格段に古く現在から1万5千年前から2万年前という旧石器時代まで遡ります。人間にとって最初の人間以外の動物との関りが犬であった事は間違いが無く、それゆえに犬の原種が何であったのかは現在でもはっきり解っていません。家ネコの原種がリビアヤマネコである事は確実ですが家イヌの原種は「インドオオカミから改良されたもの」「イヌという個別の動物がいたというもの」「イヌ科の様々な動物が交じり合って出来た動物であるもの」という多元説が取られており真実は誰にも解りません。「インドオオカミ説」が現在最も有力ですが家イヌにはオオカミには全く無い特徴がいくつもあって決定的な起源説にはなっていません。

一見「DNA鑑定」で簡単に解りそうにも思うのですが犬とコヨーテ、犬とジャッカル、犬とオオカミのDNAは殆ど同じでこの3種の動物と家イヌには生物的に混合品種が簡単にできます。この混合品種というのは馬とラバを掛け合わせて出来たロバ、ライオンとトラやヒョウとを人工的に掛け合わせた品種とは全く違います。品種の近い動物を人工的に交配させて新しい動物を作り上げてもその新しい品種には生殖能力がありません。馬の親子は当たり前に存在するのにロバの親子というのは絶対に出来ません。ロバは人工的に作った品種なので生殖能力が無く親にはなれない動物です。

ところが先ほど上げた「コヨーテ」「ジャッカル」「オオカミ」と犬の混合種にはきちんと生殖能力がありいくらでも交雑が可能です。これが家イヌの原種を特定出来ない最大の理由です。現実にアメリカのネイティブインディアンが飼っている犬とコヨーテ、アラスカのエスキモーが飼っている犬とオオカミ、アフリカや東南アジアの原住民が飼ってる犬とジャッカルはその姿が酷似しています。インドオオカミが犬の原種であるとの説ではこの事実は全く証明できません。

さて、ここまでは生物学的な事実ですがこれから述べる人と犬との最初の関りについては私の推論も交えて記述させていただきます。

旧石器時代の人間はまだ農業というものを知りません。狩猟によって得た獲物を食べ、洞穴を掘って暮らしていました。当然に食べ残しが出てそれをゴミ捨て場に捨てていたわけです。まだ家畜化されていない野生のイヌがその人間のゴミ捨て場から自分たちの餌となるものを食べていたとしても不思議ではありません。人間の顎では当然かみ砕く事の出来ない野生動物の骨も骨にこびりついた肉も肉食獣であるイヌの歯と顎の力では通常の食事になります。最初は人間にゴミ捨て場にいるところを見つけられたら殺されるか追い払われたかもしれませんが野生種のイヌが人間の捨てたごみを片付けてくれている事が解ると人間も彼らを放置したと思います。これが私の考える人と犬とのつながりの第一歩です。

人間から追い払われなくなった野生のイヌは徐々に人間の住居に近づいて生活するようになった筈です。人間のほうもわざわざ残り物をゴミ捨て場まで捨てに行くよりも近くにいるイヌに与えてしまえば良い便利な存在になり徐々に人間とイヌとの距離は近づいて行ったはずです。この時代は旧石器時代であり人間は基本的に洞穴などに入って眠っていました。そういう時代の人間にとって一番恐れる事は夜行性の大型肉食獣であるトラやクマなどに寝ている間に襲われる危険性です。ところがイヌも夜行性の肉食獣であり、こうした大型の肉食獣が人間の住居に近づいた時には鳴き声を出して人間を起こし危機を知らせた可能性が高いです。イヌの鳴き声に気づいて猛獣の襲撃から助かった人間はよりイヌを住居に近づけたでしょう。ご褒美に餌をもらった可能性も高くなります。私は最初の人間とイヌとの交流はこうした番犬的な役割から始まった可能性が高いと思っています。

そうしているうちに人間とイヌとは行動を共にする事になります。前にも述べた様にこの時代は旧石器時代であり人間の仕事は狩猟です。人間と行動を共にした犬は人間よりもはるかに優れた感覚と高い運動能力を持っています。獲物を見つける事も逃げていく獲物を追いかける能力も人間よりもはるかに勝っています。犬が獲物を見つけ獲物に追いつき獲物を足止めしている間に人間が獲物に追いつき獲物を仕留める。狩猟犬の誕生です。こうして長い期間を経て野生のイヌは家イヌとなり人間との関係を深めていったのでは無いかと私は考えています。

ネコと人との関わりの歴史

現在の家ネコの祖先はDNA鑑定からも中東の砂漠地帯に生息していたリビアヤマネコである事がはっきりしています。つい最近までネコと人間とが共同生活を始めたのは約5000年前の古代エジプトの時代と考えられてきました。ところが今世紀に入ってから地中海のキプロス島のシロウロカンボス遺跡で、約9,500年前の墓から猫の骨が発掘されました。この骨をDNA鑑定した結果間違いなくリビアヤマネコである事が解りました。つまり約1万年前から人間とネコは生活を共にしてきた訳です。犬と比べれば歴史は浅いですが猫もかなり古い時代から人間との付き合いがあった事は間違いの無い事実です。

さて、ここまでは学術的に証明された真実ですがここからは私の推論もかなり入ってきます。何故ネコと人間は共同生活を始めたのでしょう。

まずこの1万年前という時代は人間の生活様式が変わり始めた時代です。それまでの狩猟に頼る生活から人間は粗末ながらも住む家を立て始め倉庫に穀物などの食料を保存して定住生活を始めました。動物の狩猟が出来ない時期には穀物や果実を食べて暮らし始めた訳です。そうなると一番厄介になるのが人間の住居に住み着き倉庫の穀物を食べてしまうネズミや床下に住み着いて人間を襲う毒蛇になってきます。

一方でその当時の野生のリビアヤマネコからすれば獲物であるネズミや蛇などが大量に住んでいる箇所が人間の住居と倉庫になる訳で肉食獣であるネコが決して人間の食料である穀類を食い荒らす心配もありません。当時の人間は積極的に野生のネコを自宅に迎えたでしょうしネコの存在は大きく人間生活に貢献した訳です。完全に利害が一致した人間とネコは共同生活を始めてやがて長い時間をかけて改良されてリビアヤマネコは家ネコへと変わっていった訳です。これが私の考える人と猫との付き合いの歴史です。

他のどの家畜とも全く違う犬、猫の存在

ここで皆様に考えて頂きたいのはこの「犬」「猫」という動物が人間と付き合い始めた歴史は他のどんな動物とも完全に違う事です。

野生の馬がわざわざ人間を乗せて走る為に人間に近づいたはずも無く、豚や牛が自分の肉を食べて欲しいと思って人間に近づく筈もありません。鶏が人間に卵や自分の肉を食べて欲しいと考える事もあり得ない話で他の現在ペットになっている小動物も決して自分たちから人間に近づいた訳では無いという事です。人間はその文明の進歩とともに便利さを考えて、野生の馬を捕まえてきて飼いならして背中に乗れるようにしただけであり、狩猟するよりも便利だからという事で牛や豚や鶏を家畜化して飼うようになっただけであり、これらの家畜はすべて人間の一方的な事情によって人間に飼われるようになっただけです。

ところが何をどう考えても「犬」「猫」の2種類の動物だけは確実に向こうから人間との共同生活を望んで人間に近づき人間と完全に利害が一致して共同生活をしている、これは生物学的に言う「共生」であり一方だけが得をする「寄生」とは全く違うという点です。こんな動物は彼らの他に一つもいません。

私が最初のブログでこの「犬」「猫」という動物が人間にとって特別な存在であり決して今後もその存在が無くなる事は無いだろうと書いたのはこういう歴史的な背景からであり人間の生活様式が進歩すれば彼らもそれに合わせて役割を変えて進歩してくる事は確実だと思うからです。そういう意味で「犬」「猫」という存在は人間にとって他のどんな動物とも全く違います。これまで1万年以上という極めて長い間そうする事で彼らは人間と生活を共にしてきた人間にとって特別な存在です。

あとがき

人間の文明の進歩は人間だけで成し遂げたものでは決して無いと最初にブログで私が書いた事の意味が比喩的なものでも具体性が無い事でも全く無い事が皆様にお解り頂けましたでしょうか?  家イヌという存在が無ければ人間の歴史が旧石器時代で終わっていた可能性もあり、家ネコの存在が無ければ1万年前の人間の生活に恐ろしいダメージを与えていた可能性もあります。過去、現在、そして未来に向かってもこの2種類の動物は人間の進歩に絶対に不可欠な存在であり、彼らにとっても人間の存在が絶対に必要な訳です。

さて次回のブログですが最初のブログでも少し述べた様にこの人間にとって最も身近な存在になっている「犬」「猫」という2種類の動物は同じ食肉目の動物でありながら実は全く違う進化の過程を経て今日の姿がある全く違う動物でもあります。次回は彼らの能力、知力、等について何がどう違うのか、両者とも知能テストを何度も受けているにも関わらず何故どちらが優れているのかが解らないのか等、犬と猫との違いを徹底的に記述してみたいと思います。宜しくお願い致します。

動物ブログ

我々の身近な親友、犬、猫について(1)

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このブログを始めるにあたっての前書き
人間は決して単独で生きている訳では無く人間同士、または食用として、ペットとして、家畜として多くの生き物とつながりを持って何とか生活しているのが現実だと私は考えています。そういう状況の中で「私は動物が嫌いだ」とか極端な人は「人間が嫌いだ」とか平気で言えるある意味おかしな世の中になってしまっていると私は最近感じています。学術的には「人」という個体自体が類人猿科のホモサピエンスという生物でありながら「人間が嫌い」という理屈が成り立たないのが解らないのか、毎日食べている食料が他の動植物であるのを理解できていないのか、こういう人の考え方が私には全く解りません。
はっきり言えば人間の文明の進歩も人間だけで築き上げたものでは無く、多くの他の動物の力を借りて今日の文明が存在するわけで、食料としての牛や豚や鶏、乗り物としての馬の存在、狩猟や番犬としての犬の存在という家畜や孤独を癒すためのペットとしての猫やウサギや鳥などの小動物の存在は人間の文明の進歩とは深いかかわりを持っています。
では何故私がこのブログを始めるのにあたってまず「犬、猫」を取り上げるのかといえばこの2種類の動物は最も人間生活に直結しており他の家畜やペットとは全く違う存在になりうるからです。犬、猫はペットという枠を完全に抜け出して飼い主の家族や親友になりうる唯一の人間以外の動物であり、あらゆる意味で他の動物とは違います。
現在少子化に悩まされている日本でさえこの2種類の動物の飼育数は増え続けており、ペットフードの消費量から考えて15歳以下の子供よりも数が多いのは確実だと考えられます。しかもこの「犬」「猫」はともに肉食獣であり、本来は人間と対立していてもなんの不思議も無い動物です。それにもかかわらず現代でも彼らは人間と最も近い位置にいる事は明白であり最も信頼できる人間のパートナーになっているのは何故なのでしょうか?    理由はいくつもあるでしょうし学者は学術的な解釈をいくつも出して来るでしょうが素人である我々一般人にはなかなか理解するのは難しいと私は思っています。「犬」「猫」に関しては多くの飼育やしつけなどの専門書も出版されており月刊雑誌さえ複数出版されていますがこうした根本的な事柄に触れたものは私はあまり拝見しておりません。そうであれば私なりの考えをブログに書こうと考えたのがこのブログを始めるきっかけになりました。
単純に言えば先ほどの「何故彼らが人間に最も近いパートナーになりえたのか?」という回答は意外と簡単であり、極めて高い知能と優れた適応能力を持っているという一点に尽きると思います。しかしそういう視点だけで見れば例えば一部の類人猿やその他の動物でも「犬」「猫」に負けない知能を持った動物はいくらか存在するのが現実です。それでも人間はその他の動物を人間の身近に置くことを避けて「犬」「猫」だけを選んでいつの時代も人間の身近においてきました。こういう歴史的な事実からも目を背けては駄目だと私は考えています。このブログの主題の最後に(1)と付けたのは他の動物と違ってその起源や人とのつながりを考えるのにはとても一度のブログでは終わらないと考えたからで「人」と「犬」「猫」とのつながりはそんな単純なものでは決して無いと私が判断したからです。彼らが人間に飼われ始めた時代から現在、そして未来まで人間は決して彼らを遠ざけることはありえないと私は考えています。
よく『人間が絶滅した後は「ネズミ」と「ゴキブリ」の世界になる』というような言葉を聞きますが「犬」や「猫」を飼った事のある人、現在も飼育しておられる人はこんな世界が絶対に来ないことはお分かりであると思います。「ネズミ」や「ゴキブリ」はたまたま現在の人間生活に自分たちの住む環境が適合しているために数を増やしているだけであり人間の存在が無くなれば彼らも住む環境を失って減少していく事は明白です。
ところが「犬」と「猫」だけはこの枠からも完全にはみ出している存在です。人間から餌をもらい人間とともに暮らしているように見える彼らですがこの2種類の動物だけは人間から離れても充分に生きていく力を持っています。人間から捨てられても「ノラ犬」「ノラ猫」として暮らし自分自身で食物を見つけ住処を探し自由に生きていく事が可能な唯一の動物です。「ネズミ」などとは比較にならない高い知能を持ち、数日間の空腹にも耐える能力を持ち、与えられた環境に自分たちを適合させ独自の社会性を持つ極めて優れた動物である為に逆に半野生化したこの2種類の動物は人間生活に危害を加える存在に充分になり得ます。現在も「ノラ犬狩り」や「ノラ猫狩り」が行われており各保健所にはその為の専用の部署まで設置されている現実は「人間に飼われている」という前提が無ければこの2種類の動物がいかに人間生活に害を与えるかの証明にもなっています。
ではこの「犬」「猫」とはいったいどういう動物なのでしょうか?
今回のブログではまずは彼らの本来の姿を解明していく事から始めたいと思います。宜しくお願い致します。
肉食獣の定義
「犬」も「猫」も肉食獣ですが他の動物の肉を餌とする動物が肉食獣であるのなら人間も肉食獣になってしまいます。他にもイノシシは動物の肉を好んで食べますしサルの中には群れで狩りをして他の野生動物を食べるものも少なからず存在します。では彼らも肉食獣なのでしょうか?
それは全く違います。人間も含めていくら肉を食べようとも彼らは肉食獣とはかけ離れた存在です。
肉食獣とは学術的には「食肉目」に入っている動物の事で最初から他の動物を餌をする為に進化した動物の事でいくつかの特徴があります。
「犬」や「猫」を飼育されている人は彼らを怒らさないように慎重に彼らの顎を動かしてみていただけると解ると思いますが、両者とも顎は上下にのみ動き決して人間の様に左右に動かないのが解ると思います。これが肉食獣の第一の特徴です。
ハサミを考えて頂ければ解りやすいと思いますがハサミで物が切れるのは上下にのみ動くからであり、左右に動けば決してハサミで物が切れない事はお分かりになると思います。食肉目に属する動物はその強靭な顎の力を上下にのみ動かす事で獲物となる動物に100%顎の力を使う事が可能であり相手に致命的な損傷を与える事が可能になります。
サルの中にもヒヒ類、特にマンドリルなどはヒョウよりも確実に大きな牙を持ち、体重もヒョウとはあまり変わりませんが現実的にはヒョウの獲物にしか過ぎない理由がここにあります。ヒヒの牙が威嚇が目的であるのに対してネコ科であるヒョウの牙は獲物を倒すための実践的な道具です。その道具の威力を100%伝える為に顎は上下にしか動きません。肉食獣の顎は決して左右に動かないように初めから固定されています。
次に鎖骨の退化です。肉食獣は原始的な動物ほど鎖骨が大きく、最も進化したネコ科やイヌ科では鎖骨と呼べるものが殆ど残っていません。攻撃に爪を使い、木に登るネコ科はイヌ科の動物よりも鎖骨が大きいですがそれでも人間と比べれば無いのも同様です。
これは獲物を追いかける為の走力を最大限に発揮する為です。逃げる動物のほうが追いかける肉食獣よりも走力が優れている事はありえない話であり、こんな事があるのであれば肉食獣は飢死してしまいます。
最速で地上を走る動物がネコ科のチーターであるのは有名な話であり、チーターの脚力は走り始めてから2秒で80キロを超え最高時速は100キロを超えます。このスピードは100メートル走を3秒台で走り切る計算になり人間から考えれば恐ろしいスピードです。一見鈍重に見えるライオンでさえ瞬間時速は80キロに達すると言われ総じてネコ科の動物はスピードランナーです。但しネコ科の動物は総じて短距離ランナーであり2キロほどしか全速力で走る事は出来ないようです。
さて、ここで皆様に考えて頂きたい事があります。全速力で2キロも走れる動物を短距離ランナーと呼ぶのは不思議だとは思いませんか?
人間にとって全速力で2キロを走り切ることなどまず不可能です。そんな事が可能であるのであれば1500メートル走は短距離走になってしまいます。ネコ科のスピードランナーたちを短距離ランナーと呼んでいるのはあるもう一つの肉食獣と比較しているからです。
言うまでも無くそれはイヌ科の動物たちです。実は木の上からも獲物を狙えるネコ科と違って走って獲物を捕まえる事に特化して進化したのはイヌ科の動物たちです。ドッグレースを走るグレイハウンドの最高速度は65キロほどであり、野生のイヌ科の動物たちもそんなにスピードは速くありません。但し彼らには驚異的なスタミナがあります。体と比較して大きな口、大きな肺を持つイヌ科の動物はその最高速度で数時間走る事が可能です。勿論捕まえる獲物のほうが足が速い場合も多々ありますが、ひづめを持つ草食獣は数時間も追いかけられるとひづめが熱を持って割れてしまい歩けなくなってしまいます。イヌ科の大型獣はそれを捕まえます。相手のほうが逃げ足が速く姿が見えなくなってしまうことも多いのが現状です。そのためにイヌ科の動物は嗅覚が非常に発達しています。見えなくなった獲物を嗅覚で探し出して最後は捕まえてしまう、これがイヌ科の動物の狩りです。目で獲物を見つけて瞬発力で一瞬で獲物を倒してしまうネコ科と優れたスタミナを生かして鼻で獲物を見つけ出し持久戦で獲物を倒すイヌ科、この両者はともに高等肉食獣でありながら全く違う進化の過程を経て今日の姿があります。
肉食獣の進化
今回のブログの最後の課題として肉食獣の進化について触れておきたいと思います。
肉食獣、正しくは食肉目の一番原始的な形としてクマ科が挙げられていますが、これはクマ類が雑食傾向にある事や冬眠をする肉食獣である為にクマ科が原始的な形である訳ではありません。肉食獣の進化はその歩き方から区別して進化の過程を探る事が出来ます。
よく怒ったクマが二本足で立ちあがって襲い掛かる姿を拝見した事のあるかたも多いと思います。それに対してネコ科やイヌ科の動物が自然の状態で二本足で立ち上がる姿など殆ど見られません。猫が音も無く忍び寄る事が出来るのも、犬が驚異的なスタミナを持って走る事が出来るのもすべてはこの歩き方に原因があります。
クマが二本足で簡単に立ち上がる事が出来るのは人間と同じように常時かかとまでつけて歩行しているからです。そういう意味では人間の足もまだ原始的であると言えると思います。パンダが立ち上がって可愛いしぐさをするのもこの為でこの歩き方を蹠行と呼びこの歩き方をする動物を蹠行性肉食獣と呼びます。
これがもう少し進化すると走る時だけかかとを上げた状態になります。イタチ科やアライグマ科、一部のジャコウネコ科がこれになり、この種を半蹠行肉食獣と呼びます。
そして究極の状態まで肉食獣が進化すると指の先だけで歩き走るようになります。この特徴を持っているのがイヌ科とネコ科です。これは指行性肉食獣と呼ばれて最も進化した肉食獣の特徴です。犬か猫を飼っていらっしゃるかたは足の裏の肉球をよくご覧ください。一見人間の掌の様に見えますがそこは掌では無く、指の付け根です。では犬や猫の掌はどこにあるのかと言えば親指の上のあたりに小さな肉球が見えると思います。そこが彼らの人間でいう掌になります。
この指行性肉食獣にはもう一つ大きな特徴があります。哺乳類の指の数は手、足ともに5本指であるのに後ろ足の指には親指が無く4本指である点です。前足の親指は地面に接していなくても獲物を捕らえる鉤爪となる為に残っていますが指先だけで行動できる為に後ろ足の親指は無用のものとなり退化して地面に設置する4本だけが残っており、後ろ足の親指はありません。この特徴がネコもイヌも高等肉食獣と呼ばれる所以です。
また大脳皮質も非常に発達しており小さいながらもイヌもネコも究極の進化を遂げた肉食獣である事に間違いはありません。
あとがき 
いかがでしょうか? いつも身近にいる皆様の相棒である犬や猫が実はかなり進化した動物である事がご理解頂けたでしょうか?
こういう話をすると猫好きの人からも犬好きの人からも良く聞かれる質問があります。
それは「犬と猫とはどちらが賢いのか?」という質問です。この答えは「解らない」としか言いようが無く動物学者でも答えは出せないと思います。犬と猫とは体形や歩き方まで良く似ており同じような進化の過程を歩んできたように見えますが実際はかなり古い時代から分化しており全く違う動物です。肉食獣の本道を進化してきたのは間違い無くネコ科であり先ほど私が述べた様な進化の道を辿ってきたと考えられます。これに対してイヌ科に近い食肉獣というのはアシカやオットセイなどになってしまいイヌ科以外で陸上で同じ様な進化の道を辿ってきた動物が殆どいないのが現実です。見た目は犬とよく似ているハイエナなどもジャコウネコに極めて近くネコ科に近いのが現実です。イヌ科は多分極めて古い時代に分化した食肉獣が独自の進化を遂げたとしか考えられず結果としてネコ科の動物によく似た形になってしまったとしか考えられません。但しイヌ科自体の分布図はネコ科の動物よりはるかに広く食肉獣で現在最も分布が広いのはアカギツネであり、かつてはアカギツネより分布が広かったのに人間によって絶滅させられて現在では希少な動物になってしまったのがオオカミです。ですから「犬と猫がどちらが賢いのか」など比較できないのが現実です。しかしただ「解らない」では味気ないので一言付け加えさせてもらうと「どちらもかなり賢い」というのが現実です。人間を含むサル類の中でも犬や猫の知能を上回るものはほんの少数派であり両者とも極めて優れた知能を持っている事だけは確かです。だからこそ両者ともただのペットなどでは無く人間の親友に、家族の一員になり得る存在である訳です。
次回のブログは今回の続きとして犬、猫の人間とのつながりの歴史を記述していきたいと思います。宜しくお願い致します。     

日本の改革者

日本の改革者たちの政治的立ち位置

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前書き

前回のコミュニティの趣旨で私はこれまでの保守系の立場を捨てて白紙の状態でコミュニティを立ち上げたと書きましたが、これは歴史からも学んだ事でした。

前回に書いたようにこれまで日本の歴史の中で3度の大改革がありましたがその当事者たちの政治的な立ち位置は右派なのか左派なのか私には全く解らない状態なのが事実です。今回のブログでは彼ら3人の足跡を辿って皆様に彼らがいったい政治的にはどういう立ち位置であったのか考えて頂くものにしたいと考えています。以前に所属していたコミュニティで「保守とは何か?」と問われたメンバーが「保守とは古き日本の良きものを大切に守る事」と答えていた事もありますし、保守コミュニティの趣旨に現在でもそれに似たような事を書いているコミュニティもあります。しかし現実には歴史を動かし日本を守った改革者はすべて、ある意味ではそれまでの日本の風習、文化、生き方を壊した破壊者たちです。この事実をもってして彼らを売国奴と呼べるでしょうか?

少なくともその時代当時には彼らはすべて多くの人から売国奴だと思われていたと私は思います。大きな改革を断行するためにはそれまでにあった既成観念を良いものも悪いものもまとめてひっくり返す事が必要で既存のシステムの中で暮らしていた人々から見れば改革を断行するものは大悪人です。では日本史上で彼らが何を捨てて新しい何を取り入れていったのか個別に見ていきたいと思います。宜しくお願い致します。

聖徳太子

実は記述するのが一番難しいのがこの「聖徳太子」です。時代は古くなれば古いほど現在の価値観念から遠く離れてしまいますし記述された文献も少なくなってしまうのが現実です。時代が古いほど現在の我々から見て感情の移入も出来なくなってしまう事も現実です。しかし歴史を皆様に伝えるブログで私の推察での聖徳太子像を記述することは控えなければならないと思います。したがってこのコーナーでは聖徳太子が生きた時代とその時代背景、当時の日本が抱えていた国内と国外の諸問題を出来るだけ簡潔で解りやすく述べて何故この時代に改革が必要であったのかを描きたいと思います。

聖徳太子飛鳥時代の西暦574年、用明天皇の第二子として、この世に生を受けました。厩戸皇子(うまやどのおうじ)と呼ばれていましたが、幼名は厩戸豊聡耳皇子(うまやどとよとみみおうじ)といいます。この時代にまだ和暦はありません。日本史に和暦が登場するのは太子の死後、大化の改新の後の「大化」が最初です。太子が生まれた時代の日本は決して独立国とは言えず中華王朝である隋の朝貢国でした。日本国内では豪族同士が争っており、特に有力者であった物部氏蘇我氏は激しい争いを繰り返していました。そこに日本初の女性天皇である推古天皇が西暦592年に即位しました。

賢明な皆様にはお解りだと思います。当時の状況は天皇の存亡の危機があったのです。聖徳太子憲法十七条を制定したのも冠位十二階を定めたのもこの危機を救う為には絶対に必要な事であった訳です。さらに太子は誕生してはすぐに消えて違う王朝が出来上がる中華王朝に見切りをつけ隋と闘っていた高句麗と同盟を結び、当時の隋の皇帝である煬帝小野妹子を遣隋使に遣わせて日本の独立国家としての地位を勝ち取ります。煬帝は皇帝と天皇が同一の地位である事を二度の小野妹子の派遣によって認めざるを得なくなります。その後隋が倒れて唐が成立した後に日本が遣唐使を途中でやめてしまう事が出来たのは唐も日本を独立国として認めていたからです。さて、ここまでは聖徳太子の立場は完全に保守派ですよね。

問題なのは聖徳太子摂政という立場になり政治を行えたのは聖徳太子蘇我氏の血縁であり太子を擁立したのも蘇我氏であるという点です。憲法十七条も冠位十二階も蘇我氏の勢力を大きくするものであり国内を鎮めたのも蘇我氏の為であった可能性が非常に高い事です。勿論当時には右派、左派などという言葉はありませんでしたが聖徳太子の業績によって蘇我氏の勢力は実際には天皇以上のものになったというのが事実です。「大化の改新」によって蘇我入鹿が暗殺され蘇我氏が滅ぼされなければ現在の天皇陛下の存在があったのかどうかは極めて疑問です。そういう意味では聖徳太子の業績は今でいう左派的なものであったのは確実です。

織田信長

織田信長の業績は当時仏教勢力が支配して仏教国になりかけていた日本を根元から叩き壊して百年以上続いた戦国時代を「天下布武」という武力で天下を取るという明確なスローガンを掲げてもう少しで日本を統一するという部分にまで高めたところにあります。

足利義輝が殺された後の室町幕府の将軍の座を義輝の弟の足利義昭を擁立して幕府を立て直し、応仁の乱で乱れた京の都の治安を完全に回復させて困窮していた皇族に惜しげも無く金銀を渡して当時仏教勢力によって、特に一揆と呼ばれた一般庶民の暴動を抑えて根元から新しい日本を作り直したのは見事なまでの保守勢力です。

しかし他方で織田信長は将軍から副将軍の地位を何度も提示されたのに完全にこれを拒み続け、堪り兼ねた将軍が兵を上げると将軍足利義昭を都から追放して室町幕府を完全に終わらせて京都御所の裏鬼門に建てられた比叡山延暦寺を僧侶もろとも完全に灰にして当時の天皇であった正親町天皇に退位を求め、皇室には歴の改正を求め、正親町天皇から太政大臣か関白か征夷大将軍になってくれと頼まれてもこれを一蹴するなど完全に極左とも思える一面を見せています。

織田信長が朝廷から恐れられていたことは確実で彼もまた本能寺の変で暗殺されなければ現在の皇室があるかどうかも不明です。しかしその織田信長の意思は豊臣秀吉へと受け継がれ天下を統一した秀吉は「太閤検地」と「刀狩り」という信長が実行できなかった業績を実現し、その意思をまた徳川家康が次いで江戸幕府を開き日本は250年以上平和な時代を迎える事が出来た訳です。

改革者が殺されても残った者がその意思を受け継いでより浄化された改革を断行していく、そうする事で日本の長い歴史は続いてきた訳です。決して日本という国家の歴史が長いのは偶然でも島国であるからでも無く国家が窮地に陥った時に英雄が突如現れて新しい国づくりを行う事で成り立ってきたわけです。それは次の坂本龍馬の姿に見事に反映されています。

坂本龍馬

明治維新に至る幕末には多くの志士たちが登場し、活躍しました。西郷隆盛、木戸寛治、高杉晋作吉田松陰など現在から見るとヒーローのたまり場になった時代です。

しかしどう考えてもその枠からはみ出してしまうヒーローがいます。それが坂本龍馬です。他の志士たちが自分の立ち位置がしっかりとしているのに龍馬は実にあいまいです。

これまでの二人の改革者と比べても龍馬の地位は比較にならないほど低く、その生涯で直接政治に関れる身分になった事など一度もありません。暗殺された時点でも坂本龍馬の身分は土佐の脱藩浪士であり彼自身に全く出世欲が無かった事は確実だと思います。坂本龍馬の存在も彼が死んで10年以上経ってから徐々に解ってきた事で坂本龍馬の存在も実績もこの時代の誰とも似ていません。

坂本龍馬が江戸に剣術修行に行っている時期に大事件が起こります。1853年7月8日に浦賀沖に来航したアメリカ合衆国マシュー・ペリー率いるアメリカ海軍が突如日本の徳川幕府に対して開国を求めました。いわゆる「黒船到来」です。

威圧的に開国を求めてくるアメリカに対して幕府は幕府だけでは答えを出せず日本中の大名に意見を求めます。たちまち浦賀に黒船が来た事が日本中に伝わり、「アメリカの要求を呑んで開国すべきだ」という「開国派」と日本に上陸してきた外国人を一人残らず斬り殺すべきだという「攘夷派」に真っ二つに分かれます。

この時点で龍馬が熱心な攘夷派であった事は間違いがありません。土佐の攘夷派の集団であった「土佐勤王党」には彼の名前も血判もしっかり残っています。ところがしばらくすると龍馬は勤王党も土佐藩も捨てて脱藩してしまいます。その後の龍馬は日本中を駆け巡り様々な人に出会います。特に江戸で会った幕臣である勝海舟に深く影響を受けて神戸で蒸気船の操縦技術を学びました。「攘夷派」の志士が異国の技術を学ぶなどは当時は異例の事であり彼と彼の仲間は蒸気船を当時保有していた薩摩藩に雇われます。

この辺りまでは彼は保守系の人間であると言えると思います。ところがその後すぐに彼は幕府に歯向かい朝敵とされていた長州藩に出かけて憎みあっていた薩摩と長州とを「薩長同盟」を結ばせて幕府に対抗し幕府軍が長州に攻め込んだ時には戦に参加して幕府軍を下関で破っています。

では薩摩と長州を味方につけて彼が徳川幕府を倒したかったのかというとそうでもありません。自分の生まれ故郷である土佐藩を薩摩と長州の同盟に加えて武力革命を抑える一方で彼は土佐藩の大名であった山内容堂に15代将軍徳川慶喜に対して「大政奉還の建白書」を書かせて無血で徳川幕府の世を終わらせました。

坂本龍馬の立ち位置は極めてあいまいです。大政奉還を実現させるまでの龍馬は徳川幕府から見れば犯罪者としか見えないほどの左派であり、薩摩、長州から見れば日本の将 来を憂いともに幕府と闘う右派だった訳です。しかし彼が大政奉還を実現したとたんに彼はすべての侍を敵に回しました。薩摩、長州が実行したかったのは徳川幕府を倒す戦であり、大政奉還が決定した瞬間に戦は無くなり、またすべての侍は職を失った訳です。大政奉還が実現した事で薩摩も長州も龍馬を生かしておいた事を確実に後悔したでしょう。近江屋で坂本龍馬が暗殺された犯人を見つける事が困難なのは恨みを持つ人間が多すぎて特定出来ない事と犯人を捜して処罰する気も幕府には無いからです。

この坂本龍馬の立ち位置を皆様はどう考えられるでしょうか?

あとがき

私は日本が好きでこの国を大切にしたい、トランプがアメリカファーストを言うのなら私はジャパンファーストです。理由は私が日本人だからです。

日本を大改革してきた偉人たちがある部分では左派であり、ある部分では右派である事に気づいていただけましたでしょうか?  だから今後の私は「日本の将来を考える」という共通の目的が持てればどんな人間とでも手を組むつもりです。共産党民進党の支持者がすべて売国奴であるとの考えも捨てました。私の力など到底今回のブログで取り上げた3人とは比べ物にならないほど弱く小さいものである事は充分に承知しているつもりです。しかし先人の知恵を学ぶことは決して無駄では無いとも思っています。

皆様、宜しくお願い致します。