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動物ブログ

我々の身近な親友、犬、猫について(8)

日本の猫

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前書き

前回まで3回にわたって「日本の犬」を取り上げましたが、今回は同じような視点で「日本の猫」に対する歴史的な背景とその存在意義について考えて記述してみたいと思います。

日本人にとっての動物に対する観念は「犬」「猫」に限らずどんな動物に対しても独特です。

「蚤虱馬の尿する枕もと 」

という有名な俳句は江戸時代の俳人松尾芭蕉が「奥の細道」で書いたものです。物凄く不潔な環境であった事が解る一文です。しかし当時から日本人は極めて清潔な民族であった事も間違いの無い事実です。ヨーロッパにチフスやペストやコレラといった恐ろしい伝染病が蔓延し国民の数分の1がその犠牲になった歴史があるのに対して、かなり古い時代から日本にはそんな歴史はありません。伝染病を媒介するネズミなどは日本が海外と交易を始めた頃から船を通じて何度も日本に入ってきていました。渡り鳥や一部の昆虫も毎年ヨーロッパと日本との間を往復していました。日本国内にこれらの伝染病のウイルスが入ってきていたのは確実でしょう。しかし日本国内では大規模に流行する事は絶対にありませんでした。日本人が昔から非常に清潔な民族である証拠です。

現代でいう「トイレ」は昔は「厠」と呼びました。「厠」の語源は「川屋」であり天然の水洗トイレです。それが室町末期に農作物の肥料になる事が解った為に日本人は自分の家の中にトイレを作り始めました。その肥料は冬季に百姓がいくらかの農作物で買い取る事が通例でした。日本のトイレが屋内に出来た背景にはそういう歴史があります。

これに対してヨーロッパで言えば例えばフランスのベルサイユ宮殿にはトイレが一つもありません。映画の中では優雅な貴族の舞台ですが実際には貴族はすべて「オマル」を使用していました。極めて不潔な環境で物凄く臭かった事は確かです。フランス製の香水が有名なのはこの臭さを紛らわす為に発達した事によるものです。意外な事ですが香水の有名な国とは「国内が不潔である為に香水の技術が発達した」という歴史を持っています。国内が清潔な国では香水などは必要では無く香水が重んじられない訳です。

ところが先ほどの芭蕉の俳句「蚤虱馬の尿する枕もと 」があります。これは「不潔な環境でも一緒に生活する動物に人間が合わせて一緒に住む」という日本人独特の動物に対する愛情の表われです。「日本の猫」もこうした環境の中で人間と一緒に生活してきました。

日本人と日本の猫との歴史

犬ほどではありませんが日本に猫が定着した歴史も実はかなり古いものです。長崎県壱岐市勝本町弥生時代のカラカミ遺跡より「飼い猫」の遺骨が出土されています。弥生時代から飼い猫はいた訳でその存在が大きくクローズアップされるのは奈良時代からです。日本における飼い猫の存在は穀物蔵に害獣として存在するネズミを退治してくれる動物として大変貴重なものになり大きく国内に広がりました。しかしこうした「日本猫の家畜としての性能」は鎌倉時代に入るとかなり事情が変わってきます。鎌倉時代には「南宋」(中国)から極めて高い値段で何度も猫が輸入された記録が残っています。日本国内にすでに猫がいるのに彼らは何の為に「高価な海外の猫」を買い求めたのでしょうか。理由は一つであり「ネズミを良く獲ってくれる」からです。つまり「日本古来の猫」は鎌倉時代からあまりネズミを捕っていない訳であり、それでもこうした日本の猫は庶民に愛され続けてきました。驚く事にこうした「猫の輸入の歴史」は明治維新まで絶える事無く続いていきます。「西洋の犬」が日本国内で勝手に繁殖していったのに対して「西洋の猫」は鎖国状態であった江戸時代ですらオランダから長崎を通じて盛んに輸入されています。日本人が「日本の犬」と「西洋の犬」との区別を始めた時代よりはるかに前に「日本の猫」と「西洋の猫」はきちんと区別されていました。「ネズミを積極的に獲るか撮らないか」という極めて明確な違いからです。私が前回のブログの最後に「日本の猫は1000年前からネズミを殆ど獲っていない」と書いたのはこの為です。「日本人にとっての猫の存在」は「中国やヨーロッパにおける猫の存在」とは全く違います。

「海外の猫」と「日本の猫」の違い

猫が人間に飼われだした原因はヨーロッパでも中国でも日本でも世界中で全く変わりません。人間にとっての害獣である小動物を退治してくれる存在として非常に貴重な動物でした。「ネコ」という名前の由来が「ネズミを捕る子」であるという説に全く異存はありません。

ところが海外と日本国内とで全く違うのが「ネコ」という存在の役割の違いです。日本を除くすべての先進国が現在でも「猫の野生動物としての感覚の鋭さ」を昔から変わらず大切にしているのに対して日本人が「ネコ」に求めるのは「従順さ」や「人間との共生のしやすさ」であり日本人だけが「野生動物としての猫の感覚」をむしろ邪魔なものと考えて取り除いてきています。「猫の手も借りたい」とか「猫の役にも立たない」などの表現は殆ど日本人だけのものであり西洋ではそうした猫は何の役にも立たないために排除されてきました。アメリカンショートヘアーやアビシニアンといった歴史的にはごく最近に作られた猫の品種ですらその目的は「野性味が強くネズミを良く獲る猫を作る」という日本人からすれば極めて原始的な発想です。日本人はずいぶん昔からそんな発想は捨てて猫を可愛がっており「気性が荒く飼いにくい猫」は遠ざけてきました。この日本人の発想が「国内でネズミを捕る猫を作る」という方向に全く向かわずに「ネズミを捕る猫は海外から買えばいい」という歴史を1000年近く作ってきた訳です。海外の猫が殆ど日本国内の猫よりも確実に気性が激しいのはこうした理由からです。「猫を飼う」「新しい猫の品種を作る」という目的自体が日本人だけが特殊であり他のどの国家とも全く違う訳です。

日本の猫の種類

現在の日本猫で海外で純血が認められている品種は一つもありません。それは確かにその通りであり鎌倉時代から混血を繰り返してきた日本猫の固定種などはなかなか認められる事は少ないと思います。しかし時代は確実に進化しており日本犬同様に日本猫の価値が認められる日は来ると私は考えています。日本猫の愛好家の皆様には日本の文化を海外に発信する為にも「純血の日本猫」の作成に取り組んで頂きたいものです。

現実に現代の日本猫でも関東と関西では違っています。少なくとも2種類は作れる可能性がある訳です。かなりおおざっぱな分け方ですが関東の猫は尻尾の曲がった猫が多いのに対して関西の猫は尻尾がまっすぐな個体が殆どです。皆様の周りにいる猫を良く確認していただければ解ると思います。この原因は江戸時代の関東で「尻尾のまっすぐな猫は化け猫になる」との伝説があり当時の猫の輸出国であったオランダから日本に入ってくる猫で「尻尾が曲がった猫」しか関東では売れなかったという歴史に基づいていると言われています。江戸時代の限定貿易しかしていない日本ではオランダにとって猫は貴重な輸出商品でした。江戸時代から西洋の船が航海に出る時にはまず必ず保険に入っています。その時の保険会社の条件の中に「ネコを必ず船に乗せる事」という一文があり猫を乗せていない船は沈没しても保険がおりない訳です。その為の猫が日本では高く売れる為にオランダ人は江戸時代から日本に大量の猫を輸出していました。その結果関東と関西では売れる猫も違ってきた訳です。こうした歴史の背景をうまく生かせば日本猫の純血種を一度に複数作る事も可能です。私はこうした日本の文化は大切にするべきだと思いますし猫を可愛がっておられるかたには是非とも頑張って頂きたいものです。

あとがき

今回は思いつくままに「日本の猫」について書きましたが実は私自身は猫に関しては雑種の日本猫しか飼った経験しか無く純粋の西洋猫を飼育した事は一度もありません。

しかし幼い時からお隣の家が無類の猫好きであり私が初めて猫を飼った時にはシャムネコがいて、その後ペルシャ猫、アメリカンショートヘアー、現在はアメリカンカールを飼っていらっしゃいます。もうお亡くなりになりましたがお隣のおじいさんは獣医さんであり、我が家の犬も猫も大変お世話になりました。

ところがお隣がどんな猫を飼われても私の猫はいつもいじめられる訳です。シャムネコなどは外見はおとなしそうに見えますが非常に気性の荒い猫であり我が家の犬とも喧嘩したほどでした。

「何故うちの猫はいつもいじめられるのか?」そう思った事が猫の事を調べようとした動機になりました。犬に関して言えば日本犬は同じ体格の洋犬には決して負けず気性も激しく運動能力も優れているのに日本猫には全く当てはまりません。そういう事を調べだすとやはり日本人の独自性が見えてきて面白いと思いました。

さて次回の動物ブログですがこれまで8回続けてきた「犬、猫」に関するブログは一旦終了してクジラについて書きたいと考えています。日本人はクジラやイルカを獲って食べますがこの事が世界的に見てそんなに残酷な事なのでしょうか?  実は日本人がクジラを獲って食べる事こそ世界の食料需要を満たして世界中の漁業を助ける事にもなっています。現在は極めて厳しい環境にクジラ漁が追い込まれている為に実は重大な環境問題を引き起こしつつあります。そのあたりをデータを見ながらじっくりと記述してみたいと考えています。極端に言えば「クジラ漁は世界を救う存在だ」と私は考えています。宜しくお願い致します。