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これからの日本と世界

報道に気を付けよう(2)

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前書き

もういい加減にしてほしい、私はまさか「報道に気を付けよう」のブログの続編を書く事になるとは自分でも全く予想していませんでした。しかし特に最近のテレビ報道は酷すぎて黙っていられない気持ちになり第二弾を書く事にしました。

何度も私が書いている様に朝鮮半島民族と我々日本人との間にある問題は完全に日本の国内問題です。にもかかわらず最近の報道はこの国内問題をこじらせ、報道を見る日本人に誤解を与え洗脳しているとしか思えない酷い状況です。これでは問題が解決の方向とは全く別のほうに向かうようにマスコミが先導しているとしか思えません。日本を彼らはいったいどうしたのか全く現状を見て私には理解できません。

前回のこのブログでも私が記述したように是非とも皆様は自分の頭で現在の報道を考える事を心がけてください。現在の報道はそれほど異常であり非常に危険です。今回のブログでは先日の北朝鮮金正男の暗殺事件と安倍総理の奥さんが名誉校長をしていたという森友学園の問題に絞ってこの異常な報道を暴いてみたいと考えています。

宜しくお願い致します。

金正男暗殺後」の報道に対して

日本人として、何の罪も無い同胞を拉致し母国に拘束している北朝鮮という国家が許せない感情は誰にでもあると私は思っています。その原因があの国家の世襲による金一族による独裁体制が確実に元凶である事も皆様はお解りである筈です。

しかし最近のテレビ報道でこの金一族の事を「ロイヤルファミリー」という言葉で表現しているのをどう皆様はお考えでしょうか?

冗談ではありません。日本の報道が普通「ロイヤルファミリー」という言葉を使うのは日本とも親交の深いイギリスやヨーロッパなどの王朝の事であり日本人を拉致し自国民を虐殺し日本海にミサイルを撃ち続ける北朝鮮の独裁者の家系のどこが「ロイヤルファミリー」なのでしょう。ふざけるのもいい加減にしてもらわないとこの言葉は家族を拉致された身内の人間への深刻なダメージになってしまいます。

あの北朝鮮の独裁者一家を「ロイヤルファミリー」などという呼び方で呼ぶのであれば日本国内の暴力団の組長一家はすべて「ロイヤルファミリー」です。こんなおかしな報道が当たり前に流される現在のメディアの姿勢は極めて異常です。

またマレーシアで暗殺された金正男を「金正男氏」とか「金正男さん」とテレビで呼んでいるのを見かけられた事はありませんでしょうか?

これもふざけた話であり金正男のビジネスは覚せい剤の製造や密輸、武器の密輸であり何故犯罪者の名称を敬語で呼ぶ必要があるのでしょうか。日本に対しても彼が東京ディズニーランドにいく為に密航し身柄を拘束され北朝鮮に送り返された事件は誰もが知っている現実であり「金正男容疑者」と呼ぶのが当然であると私は思います。

現在の北朝鮮の独裁者である金正恩よりも金正男のほうが日本人拉致被害者の問題解決について話がしやすかったであろう事は解りますが金正男北朝鮮の国家指導者になったら北朝鮮がまともな民主主義国家になると思うのは単なる幻想であり大間違いです。彼もまた北朝鮮の金一族であり、彼が国家指導者にもしなっていても北朝鮮の国家体制は何も変わりません。これらの報道は日本のマスコミによる日本人への侮辱行為でしか無く決して看過できるものでは無いのに、誰も疑問の声を上げない現在の日本の放送業界は異常です。「おかしいものはおかしい」のであり「おかしい」と言えないテレビのニュースキャスターはすべてその資格が無いとしか私は思えません。常識で物事を判断すればこんなおかしな報道が続く現在の日本の姿勢が疑われます。普通に自分で考える事を大切にしましょう。そうでないと日本が自由な社会である事も徐々に消えて無くなってしまいます。

森友学園」の問題について

大阪府豊中市の「森友学園」の国有地の土地購入に対して9億円余りの土地評価額であったのに1億円余りで購入されていたのは大きな問題です。その名誉校長に安倍昭恵夫人がなっていた事もあり現在国会では安倍総理は野党から厳しい追及を受けています。私は安倍総理の支持者ですがこれは大問題であり徹底的に究明してほしいと思います。

しかし他の国有地ははたして正常な価格で売買されているのでしょうか。大阪や東京の朝鮮学校への土地提供が格安で売却された事実はどうなるのでしょう。私はむしろ追及されるべきはそちらの問題のほうであり森友学園の問題は国有地売却問題の一角でしか無いと思っています。これもおかしな話であり森友学園だけはその教育内容まで問題視されています。では朝鮮学校の教育内容はまともなのでしょうか? 自国の教育内容を問題視して自国内にある他国の教育には完全に目を閉じる人間を普通は売国奴と呼びます。森友学園の教育内容だけを非難する放送局はすべて売国奴と言われてても仕方が無いと私は思います。

その批判内容もおかしなものばかりです。「安倍総理」を称える教育は中立性から考えて私もおかしいと思います。でも「竹島尖閣諸島北方領土が日本のものだ」と教える教育のどこに問題があるのでしょうか?  これを報道しているメディアはこれらの島が日本の領土では無いと考えているのでしょうか?  韓国では普通に幼稚園から「独島は我が領土」と教える反日教育が当たり前に行われているのに何故日本人が日本人の子供に「竹島は日本の領土だ」と教えては駄目なのでしょうか?  おかしな報道ばかりです。

また森友学園では教育勅語を教えている事も問題視されていますがどの放送局も教育勅語がどんなものであったのかについては全く触れていません。僭越ながら現代語訳で私が書かせて頂きます。

教育勅語とは

「私(明治天皇)が思うに我が皇室の御先祖様が国をお始めになったのは、遥か昔のことであり、その恩徳は深く厚いものです。
我が臣民は忠と孝を守り、万人が心を一つにしてこれまでその美をなしてきましたが、これこそ我が国の最も優れたところであり、教育の根本も実にこの点にあります。
あなたたち臣民は父母に孝行し、兄弟は仲良くし、夫婦は協力し合い、友人は信じ合い、人には恭しく、自分は慎ましくして、広く人々を愛し、学問を修め、仕事を習い、知能を伸ばし、徳行・能力を磨き、進んで公共の利益に奉仕し、世の中のために尽くし、常に憲法を重んじ、法律を守り、もし国家に危険が迫れば忠義と勇気をもって国家のために働き、天下に比類なき皇国の運命を助けるようにしなければなりません。
このようなことは、ただあなたたちが私の忠実で良い臣民であるだけではなく、あなたたちの祖先の昔から伝わる伝統を表すものでもあります。
このような道は実に我が皇室の御先祖様がおのこしになった教訓であり、子孫臣民が共に守らなければならないもので、今も昔も変わらず、国内だけではなく外国においても理に逆らうことはありません。
私はあなたたち臣民と共に心に銘記して忘れず守りますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを切に願っています。」

というものです。これを幼い子供の時から教える事のどこに問題があるのでしょうか?

日本人が未来にも日本人として生きていく為にこれ以上の言葉があるのであれば放送局は是非提案して示してください。明治天皇は自分もこれを守る事を明記しておられて「教育勅語」が極端なナショナリズムでは無い事はこの文章を見れば明らかです。にも関わず「教育勅語」が教えられていると批判をしてその中身を全く教えない現在の報道の方向性は明らかにおかしいとしか思えません。日本の現在の報道姿勢はどう考えても異常としか私には思えない訳で、こうしたメディアに日本の将来を任せる事は決して出来ないと私は考えています。

あとがき

繰り返しになりますが韓国や北朝鮮と日本との間にある問題は完全に日本の国内問題であり、日本国内がおかしいから全く解決する方向に向かわずにおかしな方向にどんどん向かっていく訳で、本来なら国民に正しい情報を伝える役目を担う筈のメディアが先導して国民をおかしな方向に導いているとしか私には思えません。

本来はメディアは放送法によって「政治的な中立性」を守らなければならないのに、ここまで歪んでる状態であるのは「日本」という国家の根元が腐り始めているのだと私は感じています。しかし日本の長い歴史の中でこういう事は何度もあり、我々の祖先はその度にそれを乗り越えて現在までこの国の国家体制を維持してきました。現在は我々にその順番が来ただけだと考えれば解決方法も見えてくると思います。皆様と一緒に考えて様々な意見を取り入れて明るい日本の未来を作りたい思いです。

宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 

天然資源を考える

化石エネルギーは枯渇するのか?

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初めに

前回のブログで私は現在の地球が置かれている状況を述べて「地球温暖化」は嘘であり、もっと炭酸ガスであるCO2を排出するべきだと書いた訳ですがCO2の排出には「化石燃料」と呼ばれている石油や石炭、天然ガスなどを使う必要があり、これらの資源が有限で枯渇する可能性のあるものなら私の見解は間違いであるとしか言いようがありません。人間の都合で貴重な地球の資源を使い切る事は深刻な環境汚染であり決して許される事では無いと思います。

皆様が「エコ」や「省エネルギー」に努力していらっしゃるのは「地球温暖化」などの為では無く電気やガスなどの光熱費を低く抑えたいというのが本音だとも私は考えています。

実際に長期的に見て石油の価格はどんどん上がっています。「第一次オイルショック」以前にはガソリン1リットルが50円以下であった事は調べればすぐに解ります。現在と当時の貨幣価値が違う為に単純に比較できませんが、ここ数年でも電気料金は上がり続け石油製品であるスーパーのレジ袋は有料化されました。これが個人では無く企業になると製品を作る燃料費を低く抑える事は企業利益に直結します。冷暖房の温度設定をなるべく低くしているのも確実に経費の削減が目的であり、「地球温暖化」とは全く関係なく経済的な負担を下げるのが目的だとも思います。

皆様がそうした「エコ」や「省エネルギー」に真剣に取り組まれている事に私は全く意義はありません。経済力を常に考えて行動するのは当然の事だと思います。しかしそうした日々の生活の中で石油や天然ガスなどの燃料がいつか無くなってしまうのでは無いかと不安を持っているかたも多い様に思います。実は石油などの天然資源などが枯渇するから「エコ」や「省エネルギー」を推進するというのも「地球温暖化」と全く同じビジネスです。「エコ」や「省エネルギー」はお金が儲かる訳です。

今回のブログはそうした化石燃料などの天然資源の実態を記述し、化石燃料とはそもそも何で今後人間が今以上のペースで使い続けていけばどうなるのかを科学的な観点からも書いてみたいと思います。宜しくお願い致します。

化石燃料の正体

石炭や石油、天然ガス化石燃料である事は皆様もご存知だと思います。しかしその「化石燃料」の成分やその元になっているのかが何かを知って使っていらっしゃるかたは少ないと思います。これは当然の話でそんな細かい事は知る必要は全く無く、普通に生活の中で使えればそれで良い訳です。ところがそうした一般庶民の「化石燃料に対しての無関心」こそが一部の人間の金儲けになってしまう訳で、我々は知らない間にそうした人間にお金を払わされているとなればこれは由々しき問題です。

「エコ」や「省エネルギー」は非常に儲かる商売であり彼らが大々的に「限られた資源を大切に使いましょう」という宣伝までしている事は大問題だと私は思います。

石炭も石油も天然ガスもその成分は科学的には全く同じで炭素と水素の化合物です。その化合の仕方によって固体になったり液体になったり気体になったりしているだけで化合の仕方の違いによって燃え方も変わっているだけです。

我々人間の体も燃やすと灰になる事から炭素で出来ています。それが長い歳月で空気中の水素と結合すれば化石燃料になる訳です。「化石燃料は炭素と水素の化合物である」事をまずは知ってください。これは最近話題になっているメタンハイドレートも全く同じ構造です。

地球上の元素の量

非常に細かく見れば宇宙の中に地球から少しずつ出ていっている元素もありますが逆に宇宙から貰っている元素もある訳で地球が誕生してから現在まで地球の中にある物質は殆ど同じです。核分裂核融合させれば元素は変わりますが人工的にそんな事をやったくらいの量は地球全体の物質から見ればごく微量であり深く考える必要は無いと思います。

ガソリンが燃えて車が走るのも、発電所で燃料を燃やして電気を作るのも、すべてこの炭素と水素の化合物が酸素に触れて燃えて炭素と酸素の化合物であるCO2と水素に分かれているだけです。炭素も水素も酸素の量も全く変わっていません。水素と結びついていた炭素が酸素に触れて燃えた為に炭素と酸素の化合物であるCO2とH2という水素に変わっただけです。電気を使うのも車を走らせるのもガスで調理をするのも決して元素を減らしている訳では無く科学的な化合を変えているだけです。元素の量は全く同じです。

石油のある場所

産油国として中東の諸国を思いつく人も多いと思いますが、現在一番の産油国は南米のベネゼエラです。これは科学技術の進歩によって石油の推定埋蔵量も変わってきた訳です。

これは普通は石油は地下深くの泥岩(けつ岩)と呼ばれる岩の層の下にあり中東の石油というのはそこから地上ににじみ出てきた石油を使ってきた訳ですがこれまではそのにじみ出た石油の量だけで推定埋蔵量を決めていた訳です。ところが最近その泥岩(けつ岩)からガスや油を取るシェールガスシェールオイルの技術をアメリカが開発してどんどん広がっています。日本海の日本領の中にサウジアラビア並みの量の石油がある事も有名ですがこれを掘削する技術があってもその価格に見合わない為に放置された状態で技術が進歩すれば近いうちに海底油田の開発も進むと思います。中国が一生懸命試掘をしていますがあまり気にする必要はありません。中国がここ数年で南シナ海に進出し始めたのは日本海での石油の掘削が自分たちの技術では無理だと考えたからで水深が浅く掘削がしやすい南シナ海に拠点を移しただけです。他にも日本海側にも太平洋側にも日本の領土に石油が沢山ある事が解ってきています。日本は黙々と技術開発して採算が合うようになってから自国の資源を使うようにすれば良いと思います。

世界の石油の埋蔵量については科学者が地球の炭素と水素の量から考えて少なくともこれまでのペースで使用したとしても8000年分くらいはある事を発表しています。石油の寿命が何十年と言っているのは石油会社の備蓄量であり現実とは違います。もっとずっと多くの石油があり開発技術もどんどん進歩しています。現実には化石エネルギーは人間が使い切るよりもはるかに多くの量があります。石油の枯渇に悩む必要は全くありません。

進歩する新技術

原油価格はここ数年でも上昇したり暴落したりの繰り返しですが原油価格の高騰は悪い事ばかりではありません。原油価格が高騰する度に先進国では自国で石油を作る事や石油以外のエネルギーを使う技術が発展していきます。自国で自前のエネルギーを持つ事は大きな武器になります。

日本でも数年前に沖縄の藻類から石油を作る藻がいる事が発見されて現在は筑波大学で研究されています。石油を作る藻類はこれまでにも発見されていましたが、数年前の沖縄で発見されたオーランチオキトリウムはこれまでに発見されていた藻類の10倍以上の早さで石油を作る画期的な藻類です。これは他の石油に代わるエネルギーとは全く質が違います。ガソリンスタンドはそのまま使えて原料を外国から買っていた石油からオーランチオキトリウムの作る石油に変えるだけです。すべての石油製品がこの藻の作る石油で代替出来てしかも国産です。国費をもっと投入してでもこういう画期的な技術の開発には力を入れて欲しいと思います。他には天然ガスの完全な代替品であるメタンハイドレートや絶対にメルトダウンしない原子力発電所であるトリウム原発など日本には優秀な未来の技術がたくさん生まれてきています。これらの新技術は既得権益で「エコ」や「省エネルギー」を推進する人間にとって邪魔な存在であり、だから殆ど報道されていないだけです。未来の日本のエネルギー事情は実は非常に明るいのが現実です。

あとがき

今回のブログでは殆ど石油の成分や埋蔵量、新技術の記述だけに終わってしまって「エコ」や「省エネルギー」の何がそんなに儲かるのかまで書く事は出来ませんでした。

次にこうした資源関連のブログを書く時には是非とも取り上げたいと思います。我々は情報操作された嘘の世界に生きています。特に資源関連の情報はまず信用できません。自然エネルギーほど実は環境に悪くエネルギー効率も物凄く悪いのが現実で水力も風力も太陽光も実は環境を破壊するとんでもないものだったりします。「化石エネルギーを節約しましょう」という言葉の裏には物凄い利権が絡んでいたりもします。

そんな事よりも我々は今ある化石エネルギーを便利に使いましょう。それが我々の先人が考えてくれた技術を生かす事にもなる訳です。ロシアは資源大国であり日本と国交が始まれば安くて質のいい化石燃料をどんどん売ってくれます。あの寒いロシアに何故膨大な化石燃料があるのかと考えると今が氷河期である事も理解できると思います。夏にクーラーを入れずに熱中症で倒れたら電気代よりもはるかに経済損失は大きくなります。深く考えずに快適に暮らせば良い訳です。特に日本人は「エコ」や「省エネルギー」に敏感でそれを他国に利用されたりもしています。石油の価格も電気料金も実は現在の価格の半額にしても充分にやっていけるもので我々は大きく損をしています。本来ならごみの分別も不要でスーパーのレジ袋も無料で渡す事こそが本当のエコです。

そうした話も次回は書いていくつもりです。宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

地球温暖化を考える

作られた環境問題

初めに

いきなり結論を言ってしまうようですが現在の我々は氷河期の中で生活している事を皆様は認識しておられるでしょうか?

地球温暖化」が問題になっている現在にいきなり何を言うのか、と考えられる人も多いと思いますがこれは現実です。我々人間は知恵を使って何とか氷河期を生き抜いているだけであり人口を増やしているだけです。

沖縄を除く現在の日本で暖房器具も防寒着も使わずに1年を過ごせますでしょうか?

野生動物の多い場所としてアフリカを想像されませんでしょうか?

人間の人口の増加している地方ですら亜熱帯や熱帯地方が圧倒的に多く日本以上の寒冷地の国家では逆に少子化問題を抱えている国家が圧倒的に多い事をどう説明する事が出来るでしょうか? 

これらはすべて氷河期の特徴であり人間は文明の力で何とかその中で生きているだけです。この人間が考えた文明がもし無ければ温帯地方ですら人間は生活できません。

これが氷河期であり氷河期の中でも数百年、または数千年の単位で気温の上下はあるものでありこの千年ほどの間で気温が少し上がってきているだけです。この気温の少し上がった事を捕らえて一部の人間が「地球温暖化」と騒いでいるだけでこんな言葉や彼らの発表するデータには必ず裏があります。「地球温暖化」とは気象の問題では無く確実にビジネスです。今回のブログではまずそのデータの裏側を暴いて現在の地球がどういう状態にあるのか、氷河期とはどういうもので氷河期では無い時代はどういう世界であったのか、これからの地球の気温はどうなっていくのかを皆様とともに考えたいと思います。宜しくお願い致します。

地球温暖化という嘘を暴く

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皆様は上のようなグラフをご覧になった事があると思いますがどうでしょうか?

私も似たようなグラフはテレビで何度も見た事があります。このデータは現実で地球の気温はここ数百年の間で確実に上がってきています。産業革命以前のイギリスのテームズ川では秋になると氷が張り始め冬季にはびっしりと厚い氷に覆われてその氷の上に商店が立ち並んでいましたが現在では厚い氷も商店も勿論ありません。これを「温暖化」と呼ぶのなら温暖化しているのでしょう。しかし地球が誕生してからの寿命は46億年も経っており、もう少し長いスパンでデータを見るべきでしょう。

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上のグラフはここ5000年間の地球の気温の推移です。46億年の地球の寿命に対しての「たったの5000年」ですがグラフにするとこうなります。右の端であるここ数百年ほどの気温が少し上がっているのがお解りになると思います。これを細かく見たのが最初のグラフであり5000年前と現在では確実に現在のほうが気温が下がっている事がお解り頂けると思います。全く地球は温暖化などしていなくてむしろ寒くなってきている訳です。

この「地球温暖化」というデータに皆様が騙されてしまうのにはこれまでの「地球の気温の変化」や「氷河期」と呼ばれた時代に対して我々が持っている観念の誤解があるのだと私は考えています。

これまでに地球が迎えた氷河期

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5億年という生物の誕生からは妥当な期間で地球の気温の推移をグラフにすると上の様になります。地球は過去5億年で4度の氷河期を迎えており現在が5度目である事が良く解ります。昔になるほどグラフの動きが滑らかで現在に近づくほどギザギザしているのは昔の地球の気候変動が穏やかだった訳では決して無く6000万年ほど前からの気温のほうが具体的に解りやすくなったからでそれにはきちんとした原因があります。

それは南極大陸の移動です。南極大陸はずっと以前にはもっと赤道に近いところにあったのが長い歳月をかけて南極点まで移動してきた訳です。南極大陸から植物の化石が発見されるのは決して南極点に植物が生息できる環境があった訳では無く大陸そのものがもっと暖かい位置から現在の地点まで移動してきたからであり氷河期では無い時代でも決して極地に植物が生息できた訳ではありません。極地に大陸が移動し、その上に雪が降り積もりその万年雪の成分を調べる事によってそれまでより具体的にその雪の降った時期の気温や大気の成分などが細かく解るようになった訳ですが、それよりもはるか前の約2億5千万年ほど前に前回の氷河期が終わり暖かい時期が訪れていた事が解ります。この中生代白亜紀と呼ばれる時期に恐竜が現れていた訳で彼らの世界は約6500万年前まで1億年以上続いた訳です。人間が現れてからまだ数百万年しか経たない事を考えると恐ろしく長く間恐竜の世界は続いた訳ですが彼ら恐竜が絶滅した時期には氷河期など無く確実に今よりも暖かかった事が解ります。つまり恐竜は地球が氷河期に入った為に絶滅したのでは無く現在では隕石の衝突によって地球の環境が変わってしまった為にそれに対応できずに滅んでしまったという説が有力です。我々は映画やテレビなどで氷河期や環境の変化に対応できずバタバタ倒れて滅んでいく恐竜の姿を想像しがちですが実際には恐竜は数千万年という長い歳月をかけて徐々に少なくなり滅んでしまったのが現実です。こうした我々の誤解は氷河期そのものにも当てはまっており、地球が氷河期に入る時には数百年に1度ずつ気温が下がって数万年経ってようやく氷河期を迎えています。地球の「氷河期」も「温暖化」も物凄く長い歳月で入っていくものであり急に何かが変わる訳では決してありません。こういう地球の歴史を無視した「地球温暖化で数十年後には~になる」という言葉を決して信用しない様にしてください。「地球温暖化」はビジネスであり金儲けでしかありません。

氷河期で無い時の地球

先のグラフを見ても現在の我々が氷河期の中にいる事は明らかです。では氷河期では無い時の地球はどういう状態だったのでしょうか?

まず現在の地球とは植物の大きさが全く違います。炭酸ガスの濃度が現在の数十倍あった太古の温暖な地球の植物は木も草も恐ろしく大きく成長していました。したがってそれを食べる昆虫やその他の動物の体も巨大化する訳です。恐竜の体があれだけ大きいのはそれだけたくさんの餌が豊富にこの地球にあった事の証明です。氷河期では無い時の地球は極地の雪も氷も1年を通じて残るものは非常に少ない温暖な気候でした。だから地球の環境を良くしたいと思うのであれば逆に大気中の炭酸ガスをもっと増やすべきであり炭酸ガスの力でもっと温暖化させるべきなんです。炭酸ガスを出さない事は決して地球に優しい事などでは無く地球の氷河化を促進させあらゆる生物に絶滅の危機を与えるとんでもない行為です。炭酸ガスが増えても大気中の酸素の比率が落ちる訳では決してありません。増えた炭酸ガスは植物が光合成で分解し酸素にきちんと変えてくれます。酸素を必要とする動物と炭酸ガスを必要とする植物はその増加分量だけ正比例して増えていきます。おかしな話はいくらでもあり「地球温暖化を阻止する為に炭酸ガスを減らそう」と言っている本人が酸素を吸って炭酸ガスを出している訳です。

地球温暖化」は環境問題に関する人間の関心を餌にした商売です。そんな事よりも我々はこれ以上の氷河期をどう克服するのかを考えて出来るだけ地球を暖かくする努力をするべきだと私は思います。繰り返しますが炭酸ガスの量を減らす事など全く地球に優しくない非合理的な感情論でしかないという事を出来るだけ多くの皆様に知って頂きたい思いです。

あとがき

このブログの題名である「作られた環境問題」という意味が解って頂けたでしょうか?

確かに日本国内にも以前は水俣病四日市や川崎の喘息問題のような環境問題がありました。しかし我々日本人は技術で完全にこれらの問題を解決しており現在の日本国内で科学的な環境問題など殆どありません。花粉症は深刻な問題ですが、あれは国産の杉や檜を使う事を止めて安価な外材に頼るようになった結果国内の森林の手入れが放置され伐採しなくなった為に花粉をまき散らしている状態になっているだけで本来はこういう事に予算をかけて花粉症を無くす努力を国家がするべきです。

日本車の「排ガス基準」は世界一厳しく現在は欧州の排ガス基準も日本に合わせているくらいです。現在の我々の周りには環境問題など何も無いのに「地球温暖化」を叫ぶ活動家は環境ビジネスをしているだけです。

アメリカの副大統領であったアル・ゴアの「不都合な真実」という本はベストセラーになりましたが「真実」では無かった事は今年NASAが南極の氷は増えていると発表した事で明らかになりました。南極まで考える必要も無く日本国内で万年雪が溶け出したとか降雪量が減ったなどのニュースは何もありません。むしろその逆のニュースのほうが多いと私は感じています。

地球温暖化」という作られた環境問題は一部の人間の完全なビジネスです。現在の地球は氷河期でありそのピークが5000年後に来て現在よりも7度以上地球の平均気温が下がる可能性がある事が一部の良心的な学者から発表されています。こうした現実に向き合う事が我々の未来を守る役目であり「地球温暖化」などという妄想はそのうちに消えて無くなります。現実に目を向けて妄想を追い払いましょう。

 

 

 

 

 

我が国の改革者

織田信長(三)

本能寺の変に向けて

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前書き

先日もテレビ番組でこの織田信長の暗殺事件である「本能寺の変」に秀吉が関係していたという報道があり、こうしたテレビ番組の内容を信じてしまう人が増えるんだろうと考えると少し落ち込んでしまいました。しかしそんな事は決して無いと私は断言出来ます。もし「本能寺の変」で織田信長が暗殺されれば秀吉の天下になるのであれば私は秀吉が明智光秀に加担していた可能性もあると思います。ところが決してそうはならない訳です。その後秀吉が天下人になったのは事実ですがそれはこの「本能寺の変」以降の秀吉の決死の働きといくつかの偶然が重なった結果であり「本能寺の変」の後にすぐに秀吉の天下になった訳では決してありません。現実に「本能寺の変」によって一番苦境に立たされたのは秀吉自身であり彼はそれを乗り越えようと精一杯努力しただけです。

改革者の業績は常に歪められ真実を後世に伝えない様に上塗りされていきます。今回のブログでは私はそうして上塗りされた部分を取り除いて出来るだけ歪められた事実の真相を解明して何故明智光秀織田信長を討たなければならなかったのかまで記述したいと思います。宜しくお願い致します。

本能寺の変」直前の織田家の内部

前回のブログの最後のほうでも少し触れましたが織田信長は暗殺される前にすでに自分がいなくなった後の織田家の将来を考えていました。織田信長は子供に恵まれていましたが信長自身が信長の父の死後に織田家の跡目争いに大変苦労し、結果として自分の弟である織田信行を自分自身の手で殺さなければ収集が付かない事態にまでなった為に自分の死後にはそうした「お家騒動」が起きないようにきちんと手を打っていました。

自分が元気なうちからすべての自分の家督を長男の織田信忠に譲り、次男織田信雄北畠家に三男の織田信孝は神戸家に養子に出しており、家督をめぐって織田家中がもめる事を生前から防いでいた訳です。織田信長自身も自分の過激な行動が世間の恨みを買っている事を充分に把握しており、自分がいきなり暗殺される事も想定していた訳です。

織田信長にもしもの事があれば、その後継者は織田信忠になる事は織田家中では常識であり織田家以外の人間が決して介入出来ない様に信長は最初から考えていました。

ところが「本能寺の変」の直後に織田信長にとって考えなかった不測の事態が起こりました。明智光秀が本能寺で織田信長を討ちとった事を二条御所にいた織田信忠が知ると彼は直ちに明智光秀を討ち取る為に明智軍と戦い、敗れて逆に明智光秀に討ち取られてしまった訳です。これは戦えば確実にそうなってしまう訳であり1万人以上いる明智軍勢に対して「本能寺の変」直後殆ど兵力を持たず戦の準備もしていなかった織田信忠が勝てる筈が無く彼は一旦身を引いて軍勢を立て直した後に明智光秀を討ち取る戦を仕掛けるべきだったのは確実です。明智光秀が謀反を起こして討ち取りたかったのは織田信長だけであり決して織田信忠も同時に討ち取る事を考えていた訳では無く織田信忠は逃げようと思えば確実に逃げ切れたものをその場に留まって戦った為に信長と一緒に討ち取られてしまった訳です。この行為が後の織田家の跡目争いの元になってしまった訳で織田信忠が逃げて生きていれば秀吉が後に天下を掌握する事などは絶対に出来ません。

こういう歴史の事件の真相にはテレビもマスコミも殆ど触れていません。短絡的に後の天下人になった秀吉と光秀が内応していたと考えるのは確実に歴史を歪めてしまいます。決して惑わされては駄目だと私は思います。

乙御前の茶釜

これは「本能寺の変」よりも十年ほど前になりますが羽柴秀吉織田信長から「茶の湯」を開く事を許可され、その証として信長秘蔵の茶釜である「乙御前の茶釜」をもらい受けました。「オトゴゼの茶釜」と呼びます。これが後の「本能寺の変」の後の秀吉の地位に大きく関係してきます。

というのはこの時に秀吉が信長から貰ったものは茶釜だけでは無く信長の四男である「お次丸」も羽柴家の跡取りとして一緒に貰った事です。この「お次丸」は信長の子供の中でも飛び切りの美男子だったと言われています。羽柴秀吉に子供が無く、したがって跡継ぎに不安がある事は織田信長も良く解っていました。羽柴秀吉明智光秀に次ぐ織田軍勢の出世頭であり織田信長も秀吉の力を必要としていたからこそ織田家の重臣にしか許されていなかった「茶の湯」を開く事も許可した訳です。しかし織田信長は同時に秀吉のこの力を警戒もしてもいました。そうした状況の中で自分の血のつながりのある四男「お次丸」を羽柴家の跡取りとして養子に出す事で秀吉が信長に反逆する可能性を完全に消し去った訳です。これは秀吉も全く同じ理屈です。織田信長から養子を貰って羽柴家の跡継ぎにする事は信長から人質を取るのと同じ事です。この養子が自分の家中にいる限り決して信長は秀吉を粗末に扱えません。

つまりこの「養子縁組」は信長にも秀吉にも得であり双方がこれで安心して今後の関係が築けるものであり、この時の秀吉がまさかこの縁組が織田信長の死後に役に立つとは考えていなかった事は明白でしょう。とにかくこの茶釜と養子縁組によって羽柴秀吉は確実に織田家の重臣の一人になれた訳です。

明智光秀織田信長を討つ動機について

さて、話を元に戻しましょう。明智光秀織田信長に決して恨みを持っていた訳でも無く秀吉や家康と内応していたのでも無いのであれば何故明智光秀織田信長を討ち取らなければならないと思ってそれを実行したのでしょうか。

これが人間の心理の複雑な部分でありどうしても感情で動いてしまう人間の性です。この明智光秀と同じ様な心境を実は現在の私も持っています。それは「もうこの人には付いていけない」という人間の持つ感情です。

この「本能寺の変」直前に織田家中ではいくつかの事件が起きました。信長に幼い時から仕えていた重臣である林通勝が突然解雇され大阪石山本願寺攻めの総大将であった佐久間信盛がその本願寺との交戦中の怠慢をいきなり咎められて高野山に追放された後に切腹させられました。こういうリストラは膨張し続けている織田家中ではまず普通は絶対に起こらない異常な人事です。さらに信長は明智光秀が長年苦労して取り繕っていた四国の長曾我部氏との同盟を一方的に解消し四国攻めの準備をしていました。信長と朝廷との仲が悪かった事は前回のブログで書きましたが、この関係をいつも取り繕ってきたのも都近くに領地を与えられた明智光秀です。そうした中で信長は明智光秀に対して秀吉の中国攻めに参加するように命令し、これまでの領土であった丹波も坂本も取り上げて中国地方明智光秀が攻め取った領土を新しい領地として与えると命じた訳です。

明智光秀が「林通勝佐久間信盛の次は俺の番か」と考えてもなんの不思議も無く、いつも朝廷から苦言を言われる光秀が「討たれる前に討ってしまう」事を考えるのは自然な事です。

本能寺の変」の時の織田家の周りの状況は柴田勝家は北陸で上杉勢と交戦中、羽柴秀吉は中国で毛利勢と交戦中、織田信長と同盟関係にあった徳川家康は大阪の堺に遊びに来ていて都の周りには光秀の軍勢しかいない空白状態が出来ていました。そうした中で織田信長は四条本能寺に殆ど軍勢がいない状況で宿泊していた訳であり明智光秀にとってこれほどの好機は無かった訳です。この「本能寺の変」にはこれらの要素がすべて含まれています。こういう事をすべて無視して光秀と秀吉の内応があったとテレビで報道していた訳で私は非常に疑問を感じました。

もし明智光秀が綿密な作戦を立てて「本能寺の変」を仕掛けたのであれば、少なくとも秀吉などよりもその後の状況を考えて都の周りの有力武将を確実に自分の味方に付けている筈です。主君の信長を討った事で織田家中の有力大名と戦になるのは必然でその戦に備えてそうした自分の味方になる武将を事前に周りに付けておかないと確実に自分が殺されます。しかし「本能寺の変」の後に光秀に味方した武将など殆どいません。明智光秀の義理の息子である細川忠興(妻は光秀の娘である細川ガラシャ)ですら「本能寺の変」の後には全く光秀の味方をせずに唯一光秀に応じると返答をした大和の筒井順慶も出陣しただけで軍勢を京と大阪の間にある洞ヶ峠で完全に止めて天王山で光秀と秀吉との戦いを見て秀吉が優勢だと解ると簡単に秀吉側に寝返りました。

こうした事から考えても明智光秀に「本能寺の変」で内応した武将など誰もいない事は明白で突発的に明智光秀が本能寺の信長を討った事が良く解ります。この結果明智光秀本能寺の変から11日後に山科の小栗栖で絶命してその生涯を終えました。光秀のこの「鬼退治」は結局誰からも支持されなかった訳です。

あとがき

テレビでは秀吉と光秀が通じていた理由として俗に「中国大返し」と呼ばれる秀吉軍が信長の死後から10日ほどで200キロに及ぶ道を大軍勢のまま帰ってきた事を「光秀と秀吉が内応していた証拠」として述べていましたが、これは秀吉の巧妙な時間を使ったトリックであり、この番組は400年以上経ってもまだ秀吉のトリックに騙されているのかと私は呆れました。

この「中国大返し」も事実でその距離とスピードが驚異的なのも事実ですが一番大切な「秀吉の戦のやり方」を理解できていないとこの「時間を使ったトリックの謎」は絶対に解けない為に「秀吉と光秀が本能寺の変で内応していた」というとんでもない結論に持っていかざるを得なくなります。そんな可能性は限りなくゼロに近く「本能寺の変」によって一番窮地に追い込まれたのは確実に秀吉です。この秀吉の「天才的な性格」を考えない限り決して真実には迫れません。後に関白太政大臣となり太閤にまで上り詰め、朝廷から「正一位」という天皇陛下の次の位まで勝ち取った世界史にもこれほどの出世を遂げた人間は他に一人も見つからない豊臣秀吉という人間は織田信長とは全く別の意味で飛び抜けた存在でありこの「天才的な性格」だけで彼が人臣の極限まで上り詰めた歴史の事実は動かしがたい真実です。

次回のブログではもう一度「本能寺の変」の時にまで戻って、本能寺の変の時の信長が見せた意外な一面と何故秀吉がこうした「中国大返し」を平然と行い、明智光秀を破りその後実質上織田信長の後継者になれたのかを出来るだけ解りやすく謎解きをしてみたいと考えています。宜しくお願い致します。

 

 

これからの日本と世界

報道に気を付けよう

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前書き

昨日北朝鮮金正恩の母違いの兄である金正男が暗殺されました。先日の北朝鮮日本海へのミサイル発射などももっと大々的に報道するべきなのに、この金正男の暗殺も特番が組まれる訳でも無くテレビや新聞では断片的な報道しかされていません。

こうした背景を考えて自分なりにこの「奇妙なマスコミ報道」を分析する事は私は重要だと思います。前にもブログで申し上げた様に私は韓国や北朝鮮にはそれほど興味が無く現在でも全く同じです。しかし現在の韓国の内政上の揉め事や北朝鮮の日本への度重なる挑発の後ろに中華人民共和国がいるとすればこれは無視できません。GDPがわずか数千億円の小国である北朝鮮が何度も核開発を試み日本海に向かってミサイルを撃ち続けられる現実は確実に北朝鮮経済と矛盾します。日本の在特会の皆様はこれを「日本国内のパチンコマネーによるものだ」と発言してパチンコ業界を糾弾しておられるのは非常に良い事だと私も思います。しかし日本国内のパチンコを全廃できたとしても北朝鮮の核開発やミサイル発射が無くなるとは私にはとても思えないんです。あの国家の核開発の後ろには「もっと巨大な力」があり、それを無視したままでパチンコだけ全廃しても期待外れに終わる確率のほうが高いと私は思います。「韓国」や「北朝鮮」などはもうそんなに寿命がある国家とはとても思えませんし、彼らが何を言おうが何をしようが「日本人は無視する」事こそが一番彼らにとってのダメージになると私は考えていますが、その背後に「ロシア」や「中国」がいるのならこれは決して無視できません。「韓国」や「北朝鮮」の行動に直接怒りをぶつける事は「木を見て森を見ていない」事になりその木から一歩離れて森を見て現実的な対応を考えるべきだと私は思います。今回のブログは「韓国」「北朝鮮」両方に入り込んでる事は確実だと考えられる中国について述べてみたいと思います。

宜しくお願い致します。

韓国の場合

韓国の朴槿恵大統領はアメリカの度重なる要求に耐えられず昨年韓国国内にTHAADミサイルシステムの導入を決定しました。この直後から中国と韓国の外交関係は冷え込み朴槿恵大統領の私的な友人との関係や、その内容が与党議員にも飛び火してもう確実に退陣に追い込まれそうな国家世論になっています。この朴槿恵の一連のスキャンダルの裏に中国共産党が暗躍していると考えるのは私の思い過ごしでしょうか?

しかしこの一連の事件で朴槿恵が失脚して「THAADミサイルシステムの導入」が白紙化すれば一番喜ぶのはどこの国でしょうか?  一度締結した国際条約はその国の国家元首が変わっても決して反故に出来るものではありませんが韓国という国家は日本に対して何度も条約を反故にしてきた実績がありこの国が「国際条約を破る常習国家である」事は間違いがありません。現実に有力な次の大統領候補は2015年に結ばれた日本との条約を反故にする発言を繰り返していて「THAADミサイルシステムの導入」に反対だと述べている候補者も実在します。これが実行されればアメリカが怒り、韓国は国際社会から孤立して衰退していくでしょう。しかし中国にとってはこれほど好都合な出来事は無く中国にとって韓国の将来などどうでも良い事です。中国は韓国の「THAADミサイルシステムの導入」を阻止できればそれでいい訳で自国の国民の言論や生命に対してもなんの保証も考えない中華人民共和国が他国の事を考える意思など全く無い事は確実だと思います。朴槿恵が退陣して一番得をするのは中国です。

北朝鮮の場合

北朝鮮が核開発を目指していて日本海に弾道ミサイルを何度も撃ち上げている事実を在特会の皆様は「いつか皆様の頭の上に落ちてくる」とおっしゃっていて、彼らの暴走を止める為にはこうした運動も必要だとは思いますが、私は技術的に完全にミサイルを北朝鮮が掌握しても日本領土にミサイルを落下させる事は絶対に無いと考えています。

もし一発でもそういう事をやって日本国内に被害が出た場合に確実に北朝鮮という国家は終わってしまいます。彼らがやりたいのは「核ミサイル技術を手に入れてアメリカにそれを認めさせて二国間交渉に持ち込む」事であり「日本を攻撃する」事では決してありません。一度は認めた拉致被害者を日本に決して返さないのも核開発を決して止めないのもすべては彼らにとって重要な外交のカードです。

では「何故彼らが日本海にミサイルを撃つのか」は単純な答えであり決して日本が反撃しない事を知っているからです。現在の日本国憲法には軍隊も交戦権も認めておらずそれが解っているから彼らは日本人を拉致し日本海に弾道ミサイルを撃っているだけです。この資金も一部確実に中国やロシアから得ていると私は思います。中国にとって表面上は民主主義国家でありアメリカとも軍事同盟を結んでいる韓国と中国の国土の間に「北朝鮮」という緩衝地帯を持つ事は極めて重要な国家戦略であり北朝鮮が無くなれば国境を挟んで在韓米軍と対峙する事態になる訳です。現在表面上はあまり仲の良くない二国に見えますが中国にとって「北朝鮮」の存在は絶対に必要です。それを充分承知した上で中国は北朝鮮との対話に臨んでいます。「北朝鮮」もそれが解っているからこそ中国に無理を言える訳です。この両者の関係はその意味で「運命共同体」として成り立っています。

中華人民共和国という国家

良く災害がある度に「日本人は礼儀正しい」とか「日本人は節度を守る」と言って外国に称賛されていますが、そういう海外の反応を聞いて一番喜んでいるのは日本人では無く中国共産党だと私は思っています。彼らにとってこの海外の反応以上に日本での工作活動がやりやすく思う事は無いと思います。日本人にとって「隣国だからよく似た人たちだ」と思い込ませるほど彼らに都合の良い事はありません。確かに日本と中国は隣国ですがその思考や価値観は日本人と中国人では全く違います。

中国が海外に出すものとして一番粗悪なものは間違いなく「彼らが発表する数字」だと私は思っています。数字が嘘だから「Made inChina」の商品はすべてが嘘になってしまう訳です。共産党発表の中国GDPの値も嘘、その中の軍事費も嘘、何から何まですべて嘘です。信用できるものなど何もありません。

数年前まで中国はGDPと一緒にその期の電力使用量も発表していました。ところが海外の経済学者から「GDPが上がっているのに電力使用量が下がっているのはおかしい、中国はどんな省電気システムを発明したのか?」と皮肉られると突然電力使用量の発表を止めました。その次は鉄道貨物輸送量とGDPの矛盾点を指摘されるとこれも発表しなくなっています。こういう人種が日本の近くにいる事を日本人は考えて行動しなければ彼らの思うツボになってしまいます。

こうした中国の外交姿勢に惑わされているのは日本だけでは無く「韓国と北朝鮮」が最もひどい扱いを受けています。中国が国際的に非常識な事をした時に日本は少なくとも外交上で彼らを非難しますが韓国と北朝鮮にはそれが出来ません。もし仮に中国を韓国や北朝鮮が外交上非難するような事を試みたら中国は力で抑えにかかります。アメリカと軍事同盟を結んでいる韓国でさえ経済という国家の急所を中国に完全に抑えられた状態であり中国はこの二国に対しては容赦なく報復してきます。中国にとって日本はライバルであっても韓国と北朝鮮は植民地と同じ考え方です。内政干渉であろうが外交であろうが中国の思う通りに動かします。

中国とは秦の始皇帝のいた時代から現在まで一歩も文明の進歩をしていない恐ろしい国家です。日本人の持つ「情」や「忠節心」など全く無い嘘で塗り固められた国家であり決して信用できる国柄ではありません。すべての中国が出す数字は嘘であり彼らはそうした嘘に対して何の良心の呵責も感じません。この事を徹底的に頭に入れて付き合わないとひどい目に合い最悪命を落とす事にもなりかねません。お気を付けください。

あとがき

日本にとっての「厄介な隣人」は間違いなく中国であり北朝鮮でも韓国でも無いと私は思っています。共産主義国家の特徴は「正論は暴力で封じても良い」と考えているところでありこの特徴は日本の左派にも強く持っています。

金正男の死因がマレーシアで検死しても解らないという報道や遺体を北朝鮮に送るという事実はこれも裏に中国共産党の工作活動があると考えるのがまともだと私は思います。金正男をかくまったのも中国であり必要が無いと思ったら彼らはゴミの様に捨てるだけです。中国の軍事パレードに参加した韓国の朴槿恵でさえ自分たちに敵対する存在になると感じたら韓国の内側から世論という誘導方法で容赦なく潰しにかかります。

我々日本のマスコミは殆どこういう中国共産党の影響下にあり、「内側から敵を崩す」のは孫子の兵法の常套手段です。報道に気を付けてください。自分の頭でニュースを考える事を大切にしてください。そうして考えて皆様が思いついた事こそが真理であり現在の日本のマスコミの報道にはそういう真理を巧妙に隠したニュースが横行しています。

お互いに情報を交流してそうした真理を深めていきましょう。明るい未来はその先にあると私は信じています。

 

予言者を斬る

バレンタインとノストラダムス

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前書き

本日はめでたいバレンタインデーであり日本中あるいは世界中で歓喜と落胆の思いが入り乱れる人が続出するかもしれません。

さてここで私が取り上げたいのはバレンタインとノストラダムスは同じであるという事実です。別にこれはノストラダムスに限りません。マヤの終末予言であろうがピラミッドの人類予言であろうがまた多くのその宗教の真理を知らない人にとってもこれらはすべてバレンタインデーと何も変わりません。これはどういう意味であるかというと真理を知らずに深く思い込むのは危険だという事です。

バレンタインデーがどういう日であるのかは私が申し上げるまでも無く皆様がご存知だと思います。では聖バレンタインって誰の事で何故この名前が付いた日が愛の告白をする日になっているのかご存知の人はどれくらいいらっしゃるでしょうか?    勿論こんな事は知る必要もありません。自分の感情に素直に慣習に従ってこの日を過ごせば全く問題が無い訳ですが、こういう風に「真理を知らずに宗教や予言者の言葉に乗せられると危険ですよ」と私は言いたいだけです。

聖バレンタイン

聖バレンタインとは紀元3世紀のローマ皇帝グラディウス2世の時代にインテラムナの司教であったバレンタインの事です。この時代にローマ皇帝グラディウス2世は「兵士は結婚すると士気が落ちる」という理由で兵士に「結婚禁止令」を出していました。しかしインテラムナの司教バレンタインはその無茶な布告に対して若い恋人たちにこっそりと結婚式を挙げてあげていました。その事が発覚してバレンタインは皇帝の前に引きずり出されてローマの神々への改宗を強要された訳です。しかし彼はあくまでも改宗を拒否し紀元270年2月14日に棍棒と石で打たれ首を切られました。

この頃のローマでは毎年2月15日にルベルクスという祭典があってその日には「恋人選びのくじ引き」が行われていました。恋人が欲しい10代の娘たちが自分の名前を書いた紙を箱の中に入れてそれを男性が引く訳です。こうして多くのカップルが毎年生まれていたのですがバレンタインの死後から約2世紀後の紀元496年に法王ゲラシウスは異教の祭典であるこのルベルクスを禁止して代わりにその前日の2月14日を恋人たちの守護聖人バレンタインの日に決めた訳です。この法王の処置に若者たちは大きく不満を持ってくじを引く代わりにその前日の2月14日に自分の好きな相手にカードを贈る事を決め、やがてその習慣は西欧世界全体に広がり「2月14日は想いを寄せる人にカードを贈る日」として定着していった訳でこれが「バレンタインデー」です。

チョコレートの話など全く出てきません。それは日本のチョコレート業界が売り上げを伸ばす為に考えた戦略です。私はそれで良いと思います。「日本のバレンタインデー」としてオリジナルなものになり今後世界に向けて発信する事も出来ます。

ところがこの手法が予言の解明という自分の本の売り上げの為や自分の宗教の宣伝に使われている事でこれは私は大問題だと思っています。今回のブログはそうした本を書いた予言者に絞ってこの事実を検証したいと考えています。宜しくお願い致します。

予言詩の原文をきちんと読めない予言解釈本の著者たち

これはノストラダムスに限りません。世界に残るいわゆる「未来を予言した詩」を正確に読める日本の予言解釈本の著者は殆どいません。

この事がどれだけ奇妙な事か、

「英語が解らないシェイクスピアの専門家」「日本語が解らない紫式部の解説者」

こんな人間があり得ない者である事は誰でも解ると思います。紫式部の「源氏物語」を日本語の苦手な外人が英和辞典片手に英訳したら全く意味不明の訳の解らない文脈になるのは当然です。正直に言えば日本人である私でも「源氏物語」をきちんと読めません。正確に読むのならその当時の言語の読み方を学び、その当時の時代背景や風習などをきちんと学習しなければしっかりした物語が見えてこない事は明白です。

ところが外国の予言の解釈という分野の本の著者においてはこうした類の連中ばかりです。ノストラダムスでさえ400年以上前のフランス人であり彼の当時の時代背景やフランス史への深い理解は絶対に必要であり、それよりもはるか昔の「ピラミッド」や「マヤ遺跡」などに書かれている文章をきちんと理解して日本語の本を出すのはどれほど難しいのか皆様はお解りになると思います。そういう作業を放棄して絶対にまともな予言解釈など出来る筈がありません。

ノストラダムスやマヤ遺跡の予言が当たらないのはノストラダムスやマヤ遺跡に問題があるのでは無く、この予言解釈の著者に大きな問題がある訳です。「バレンタインのチョコレート」は日本の文化として世界に発信できても、こういう予言解釈者の存在は日本の恥にしかなりません。彼らの終末予言の解釈の見出しは自分の本を売る為の確信犯的な詐欺であり、そういう類の本を買う人間を彼らは自分たちより程度の低い人間だと見下しているとしか私は思えません。本質を見ずに真剣にこうした類を考える事はその人の人生を狂わせてしまう大きな危険を伴います。お気を付けください。

予言解釈者の奇妙な原則

こうした予言解釈者には奇妙な共通点がいくつかあります。

1、予言研究者が自己流に予言を解釈してもその予言は決して当たらない。

2、彼らの出す本の解釈はバラバラであり殆ど共通しない。

3、彼らは他の予言解釈者をしばしば非難するが、その批判はその研究者自身にも当てはまる事ばかりである。

4、彼らは自分の予言解釈がはずれても決して反省せず、はずれた予言を信じた人にもなんの責任も取らない。

1~3までは「自分の本を少しでも売りたい」と思う商売の為だと思いますが問題は4です。自分の本を買ってくれて自分の書く事を信じてくれた読者に対しても彼らは全く反省せずなんの責任感も感じません。

これは一見経済評論家の書く本とも似ていますが、全く違うのは経済評論家は最初から「投資は自己責任です」との一文を書いていて自分の書いた通りにはならない場合がある事も初めから認めているのに対して、予言解釈者にとって自分の解釈は絶対であり、はずれた場合の個人の被害については何も考えていない時点で大きく違います。「予言解釈」以外の未来を予測する人のほうが確実に誠実であり自分の書く本の知識についても予言解釈者と比べ物にならないほど良く研究しています。一見同じように見えても現実には彼らの思考や責任感は全く違います。

「経済評論家で金持ちの人はいない」とはかなり的を得た言葉であり、経済評論家の書く未来の経済はあまりあてにはなりませんが少なくとも経済評論家は未来の経済を自分なりに熱心にまじめに研究してその結果を本にして出版しています。彼らが「経済」で収入を得ているのは明白でありはずれた事ばかり言ったり書いたりしていたら自分の生活が成り立ちません。「予言解釈者」などとは全く離れた厳しい世界で彼らは生きています。この違いを明白に皆様にも解って頂いて怪しげな「予言解釈書」や「宗教」には決して惑わされない充実した人生を過ごして頂きたい気持ちです。

あとがき

私が何故こうした予言解釈者たちの事を良く知っているのかと言えば実は私自身がその読者であり多くの本を買って読んだ経験があるからです。終末予言の全盛期には私はまだ学生であり、一生懸命アルバイトで働いて得たお金でこうした予言解釈の本を数十冊も買い求めました。現在でも殆どすべてこれらの本は手元に残っています。

つまり今偉そうにブログで「騙されたら駄目だ」と書いている私自身が見事に騙されていた訳で皆様に偉そうな事を言えるほど私自身が賢くありません。私自身が「この予言は当たる」と思ったからこそお金を出して買った訳でありそのすべては見事にはずれました。

次回こうしたブログの続編を書く時には彼ら「予言解釈者」が何を言っていたのかを実名とその内容について具体的に書いてみたいと思います。宜しくお願い致します。

 

宗教について

宗教を考える

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前書き

ここまで私は「日本の改革者」について思うように書いてきた訳ですが彼らは100年に一度出るか出ないかの存在であり「天才」と呼べなくもない訳ですが「世界」という視点から考えると数百年、あるいは千年に一人出るか出ないかの存在もあります。

彼らの枠は一般的に「天才」と呼べる人間すら飛び越えており「人間」という枠すら確実に抜け出している存在で「聖者」としか呼べない存在です。

日本史に何度か現れる改革者ですらその業績が捻じ曲げられてその存在が歴史教育においてすらきちんと教えられていない訳ですから、そういう「奇跡の存在」の歴史は「宗教」という枠組みに入れられて「疑う事すら許されない存在」になっている訳です。

今回のブログでは思い切ってその「世界史上の奇跡の存在」である「仏陀」と「イエス」について触れてみます。「マホメット」についてあえて触れません。それは「マホメット」がこの二人に決して劣っている訳では無くその理論や教えは非常にこの二人に似ています。違うのは「マホメット」が自分の教えを初めから「宗教」として説いているのに対して「仏陀」と「イエス」は「人間がどう生きていくべきか」という事を説いただけでありそれを宗教にしてしまったのは間違いなく後世の人間です。特に後世の権力者が自分の都合の良い様に何度もその教え自体を捻じ曲げており殆ど原点が見えなくなってしまっています。

したがって私が今回記述したいのはその原点です。今後もその業績がその時代の都合によって捻じ曲げられていくのは確実だと思います。この二人の教えはそれほど崇高であり今後の世界において同じレベルの人間が現れるまでまず理解不能であると私は考えています。今回のブログではその原点を見る為に「聖書」も「仏典」も全く用いるつもりはありません。仏陀が「仏典」を書いた訳でもイエスが「聖書」を書いた訳でも無く、すべてその作業は後世の人間の創作でありそういう書物を参考にすれば確実に原点から外れてしまいます。その教えを「疑っては駄目だ」などと言い出したのは本人ではなく確実に後世の人物であり私が書きたいのは人間としての「仏陀」や「イエス」です。

私はどんな宗教であれまず疑って見ています。「疑うな」という宗教はすべて偽物だとも思っています。かといって現在は特別な宗教に入っていない私ですら宗教は絶対に必要だと思いますし、自分が帰依出来る宗教があれば是非とも入りたいと考えています。それほどにこの二人については誤解が大きい訳です。そういう訳でこのブログに関しての皆様のご理解とご了承をお願い致します。

人間 釈迦

いきなりですが釈迦は悟りの境地になど達してはいません。人間としての生き方に疑問を感じない部分まで到達しただけです。出家した釈迦が「悟り」を求めていた事は確実でしょうが「悟り」を求めなくなって初めて釈迦は「仏陀」になられた訳であり、「仏陀」としての生涯をその後過ごされただけです。これは「イエス」も全く同じです。約2600年ほど前に「人間 釈迦」として生きたのが現実です。

「欲を捨てる」為に修行する自分が「欲を捨てる」という大きな欲望に動かされている事に途中で気付いた釈迦はそれ以降一切厳しい修行をしていませんし、死後の世界を語った事も全くありません。

その事に気付いて以降、釈迦が弟子に説いていった事は

「人間は欲望で動いている動物であり、人間だけが持つ大きな欲望はなるべく捨てて生きるべきだ」

という事だけで「人間の最も大きな欲望」とは「悟りを得たい」とか「死んだ後に極楽に行きたい」とか思う事であり「幸せになりたいと思うほどその人の人生は不幸になってしまう」という真理です。「極楽に行く為に苦難の人生を歩む」事は無駄であり「現生の自分の人生をその役目に従って生きる」事が重要だと説いた訳です。これでは全く宗教にならない為にその業績が恐ろしく捻じ曲げられて「仏教」になっているだけです。釈迦がたどり着いた結論はもっと単純で明快なものであり「正しく生きましょう」という事だけです。迷いが生じた弟子の前で釈迦が手を叩いて「今音がしたのは右の手か左の手か?  あなたはそんな事で悩んでいる」と述べた事は有名な話であり「結論の出ない事で悩むことは無駄だ」という崇高な理論です。これは「宗教」よりも確実に「哲学」でしょう。

人間 イエス

イエスの生き方も全く同じです。私が「イエス キリスト」と書かずに「イエス」と書いているのは「キリスト」とは救世主の事でありイエスはその生涯で自分の事を「救世主」であると名乗った事は一度もありません。確実に後世の人間の創作でありだから私は「聖書」も「仏典」も全く用いない訳です。特に「聖書」はその創作が酷すぎます。

イエスの「誕生秘話」から「復活」まであんなものをまともに信じたら絶対に「人間」としてのイエスから遠く離れてしまいます。

イエスのその業績は他人の為に自分の命まで犠牲にしてつくした「人間愛の生涯」であり、彼が一般庶民にその生涯をかけて解放したかった宗教は「ユダヤ教」であり自分の教えでは決してありません。イエスが自分の事を「神の子」であると言っていたという話も疑わしく、「神はどこにいるのか?」と聞かれたイエスは「神はあなたの心の中にいる」と答えておりイエス自身が自分の事を「特別な存在」だとは考えていたとはとても思えません。。イエスも人間の欲望の否定など全くしていません。クリスチャンが聖杯という形でワインを飲むのがその典型です。

「イエスはお酒が好きだった」  ただそれだけの話に理屈を付けているだけです。

こういう飛び抜けた人物の所業は普通の人間には理解しにくい為にどうしても神話化してしまいます。その最たるものが「聖書」であり「人間が生きていく教訓」としては非常に役に立ちますがイエスを神格化した部分はすべて後世の創作と考えたほうが良いと思います。

仏教キリスト教

こうして原点を見ると良く解るのはイエスと釈迦はそっくりだという事です。「仏教には神がいない」と思うのは早合点であり、釈迦はブラフマン梵天)に導かれて出家してその修行を常にマーラと呼ばれる蛇に変化した悪魔に邪魔されています。その原点ではキリスト教仏教は似ている部分が非常に多いのが特徴であり、全く違うものに変わってしまったのは明らかに後世の人間の創作による意図的な操作としか思えません。この二人がもし同じ時代に生まれていても全く対立する部分は無く、同じ宗教になっていた可能性が高い訳です。歴史やその地方の行政や政治体制が違う為にこの二人の業績に差があるように見えるだけで全く違ったものに変わってしまったのはすべて後世の人間が自分に都合がいい様に創作し続けた結果です。仏教徒でありながらキリスト教に入る事もその逆も、この原点の二人から見れば何も問題はありません。その原点の教えは全く同じです。

宗教に変わった訳

これまで私はこの二人の業績が「捻じ曲げられた後世の人物」のせいであると書いてきましたが、だから「後世の人間が創作したのは間違いだ」とは単純には思いません。

これほどまでに傑出した人間がいきなり現れたら後世にその業績を正しく伝える事は無理であり、どうしても神格化しないと伝えている自分がみじめになるだけであり、ある程度の着色は仕方が無いと思います。

但しこの二人ともそうした着色が「権力を維持する為」や「他民族を滅ぼす為」に使われてきた悲しい歴史があるだけでこの二人にはそうした目的は全く無く何の責任もありません。

人間がいつから宗教というものを始めたのかは、はっきり解りませんが最初は太陽やイナズマなどのその当時の人間には解らなかった人間の存在を超えるものを拝みだしたのが最初であり、この二人の存在は大きく普通の人間を超えるものであった為に宗教化したのは仕方が無いとも思います。

私は最初に述べた様に「疑って疑って」この二つは今後も続いていく宗教だと認めています。ですからこの宗教に入信しているかたに是非ともお願いしたいのは正しい方向に導いてほしいと思うだけです。熱心に信仰している人の数だけでもこの二つとも「億」を超える信者がおり方向を間違えれば戦争になる危機もあります。人間の道徳や倫理観に宗教は不可欠だと私は思いますが権力や戦争の道具に使う事には反対です。

これはこの二人の聖人の意思でもあると私は思っています。原点を大切にしてください。

あとがき

仏陀やイエスの教えを難しく考える必要は全く無く逆に「単純、明快で真理を付いている」事がこの二人の共通点であり、その目的も「死後の世界」にある訳では無く「人間としての生き方」にあり、そういう目的で聖書や仏典を読まれるのであれば大きく人間として進歩するきっかけになるのでは無いでしょうか。

彼らは普通の人間ではありませんが「人間としての完成形」と言っても過言では無いと思います。

イエスは十字架にかけられ釈迦は自分の国家であるカピラバストウを滅ぼされましたが彼らは一切暴力や権力に頼らずにその思想だけで国家を統一し2000年以上たった現在でさえ影響力を与え続けているずば抜けた存在です。悪用すれば国を滅ぼす事も出来る一面を持ちながらきちんと使えば充実した人生が送れるその思想は気高く崇高な人生の哲学です。幸せな人生を送る材料にしたいものです。